トーク:恐れ入谷の鬼子母神

最新のコメント:15 年前 | トピック:「由来」について | 投稿者:Mtodo

由来について 編集

蜀山人とは言われますが、正確な起源の記述のためには出典(刊年)を明示したほうがよいのでは?--218.185.168.141 2008年9月22日 (月) 22:01 (UTC)返信

一応ネットで調査可能なものを追記しました。--Mtodo 2008年9月23日 (火) 02:34 (UTC)返信
(要訂正)Jtext 版「蜀山家集 全」の解説では、放歌集は文化8年頃のものだそうですが、前田勇の『江戸語大辞典』の「おそれ入谷の鬼子母神」の項目には式亭三馬の文化3年の「小野*【竹かんむりに愚】譃字尽(おののばかむらうそづくし)」にみえる
平生ソレよくいふ言語「おそれいりやの、きしもじん」
という用例があげられています。--218.185.168.141 2008年9月23日 (火) 06:37 (UTC)返信
大変詳しい考証恐れ入ります。これ以上は、史料に当たったものではないので、詳述が難しいところですが、蜀山人(というか四方赤良とか寝惚先生)の狂歌創作活動は明和期から天明年間にかけてで寛政以降は、それを控えています。文化期におけるのはアンソロジーの編集であり、創作・発表は天明年間あたり(1780年代)では無いでしょうか(だから、三馬も「平生ソレよくいふ」という言い回しをしているのでは?)--Mtodo 2008年9月23日 (火) 07:09 (UTC)返信
たしかに他人の洒落を後から自分の作品に入れるのは無粋のようにも見えますが、いずれにせよ「放歌集」由来というのはよろしくありません。岩波の『大田南畝全集・第二巻』[ISBN 4000910426] に「放歌集」が収録されていて、 180頁に「今さらに恐れ入谷の…」が見えるのですが、中野三敏が「放歌集」について次のような解説を書いています(551頁)。
収録の詠作年次は文化8年と9年に纏っており、四季を追って並んでいる。 176頁に「壬申試筆」の歌が見え、それを境に前が文化8年辛未、後が9年壬申の詠となる。順にみてゆけば、さながら文化8・9年の狂歌日記という趣きである。目立つのは芝居見物の詠や役者への贈歌が増えることで、なお公務もしばしばだった南畝であるが、芝居好きは一層高じてきたものか。
蜀山人由来という俗説の存在を指摘するにとどめておくのが無難かと。--218.185.158.82 2008年9月24日 (水) 08:35 (UTC)返信
同意します。--Mtodo 2008年9月25日 (木) 00:48 (UTC)返信

「由来」について 編集

「由来」について、根拠のない俗説と言うことで除去されていますが、ここには「由来するといわれる」とそれが俗説であることを記述しています。出典等については、上のやりとりである程度の物は出しており、全く根拠のない物でもないと考えます(巷間言われていたものを、狂歌に織り込んだだけかもしれませんが)。これが間違いであるとするならば、蜀山人以前の出典を示すべきでしょうし、そうであっても「『蜀山人の狂歌由来』とされてきた」というのは事実なので削除の要はないと考えます。ということで、1版前に戻します。--Mtodo 2008年9月27日 (土) 02:48 (UTC)返信

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