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こんにちはRyota7906さん。
 
Ryota7906さんは代名詞を「我・吾」から「私」に変更する際の私の変更を元に戻しました。
 
“「我思うゆえに我あり」とも訳せるが「私は考える。だから私は存在する」などと表現しても何の支障もない。そもそも語釈を古典日本語で書くというのが場違い”
 
はい、そうです。
 
「私は考える。だから私は存在する」というフレーズは間違っていませんが、文字通りの翻訳であり、自然に感じられません。
 
しかし、日本語「我・吾(わ・われ)」はラテン語「ego」という文学代名詞であります。
 
「私」は最近の歴史からのみ使用されていたので、1800年代の現代の英語と同じくらい古いです。
 
代わりに「我・吾」は「ego」に似た上代日本語から使用されました。
 
「ego」代名詞は非常に古く、2000年前、代名詞としての「私」が300年前にさかのぼります。
 
「私」を使わなかったため、「ego」を「私」と表現するのは不正確です。
 
したがって、「我」の方が正確です。
 
「ego」は2000年近く前と同じように使用され、デカルトが「我思ふ、故に我在り」と引用したときにも使用されていました。
 
昔は古典的な日本語が使われていたので、「ego」は「我・吾」です。
 
御理解いただけることを願います。
 
イタリア語の「ego」という言葉については、「自分」に似た「自身」を指すのに「ego」という言葉を使ったので、わかります。
 
これはそう言う辞書です。
 
http://www.treccani.it/vocabolario/ego/
"Dal latino, ego (io)"
"la propria persona in quanto espressione di autocoscienza"
 
【ラテン語から、「ego」、「われ、私」。
 
訳「自身認識の表現としての自分の人。」】
 
--[[特別:投稿記録/93.56.161.198|93.56.161.198]] 2020年5月27日 (水) 11:53 (UTC)