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→‎「同義語」と「類義語」: 明確な基準が無くとも混乱しないのでは
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::::::: 「ほぼ同じ」とした場合、その適用範囲の解釈は個人個人よって異なってしまいます。そこで、誰にでも理解できる線引きが必要だと思うのですが。私は同義語が不要とは考えておりませんが、十人十色で解釈が異なってしまう様な基準を設けるのには賛成できかねます。 --[[利用者:Lemonsquash|Lemonsquash]] 2008年2月25日 (月) 05:13 (UTC)
 
:::::::: [[同義語]]も[[類義語]]も言葉の意味を対象としている以上、誰でも全く同じ解釈ができる基準など有り得ません。そのような基準が無ければならないのならば、辞書の編纂など本当にできるのでしょうか。私には不可能だとしか思えません。仮にそのような基準が必要ならば、類義語か類義語でないかという基準が必要でない理由が判りません。類義語か否か誰でも全く同じ解釈ができる基準が無いにも関わらず、大きな混乱になっていない以上、同義語か類義語かという基準が無くとも、その違いによって大きな混乱など生じないのではないでしょうか。
:::::::: まず同義語も類義語も単に参考となる別の語へのリンクに過ぎません。語句の意味するところは、その語句の記事に記載されている事ですし、リンク元が同義語か類義語かという違いで、読者が言葉の類似性を判断し易くする利点は有っても、特別欠点など生じないように思います。もし仮に同義語か類義語か判断が微妙に変わるような物ならば、ノートで議論するなり最悪類義語にすれば良いと思います。
:::::::: また少しだけ関連する事ですが、類義語にしても訳語にしても、意味によって対応する語が変わるにも関わらず、語句の意味の下位要素でなく、語句と同じかそれよりも上の要素になっているように思います。同義語か類義語かという微妙な差異などより、遥かにそちらの方が気になります。--[[利用者:Nisiguti|Nisiguti]] 2008年2月25日 (月) 14:33 (UTC)
 
== 日本語のアクセント表記について ==