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社会的承認の一実例と、(技術的な意味でも)素朴な疑問ひとつ
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私個人の希望的観測としては、将来、アイヌ語版 Wikipedia, Wiktionary を記述するに過不足のない語彙を集める、ということを一つの目標にして日々活動しています。私が、納得がいくまで絶対に妥協しないように見えたり、不必要なまでに規範的に映るのは、その来るべき時に後悔したくないからなのです。--[[利用者:Midville|Midville]] 2006年5月22日 (月) 12:04 (UTC)
 
ですから、私は、はじめから、'''この辞書の統一表記方針を定め、またそれを将来の正書法として提案することさえ否定してません。'''それを、すでに正書法として確立されているかのごとく誤解させる書き方を排除すべきであるといっているのです。読み返してみていただければ納得いただけると思います。いいですか、この辞書の正則を単に正則と表現することは問題であるといっているのです。標準が不在の状態で標準の形成に寄与することはよいことですよ。反対してません。それと、それがすでに標準であるかのごとく表現するのは間違っている、ということは完全に両立することでしょう。また、将来正書法として受け入れられても責任が持てる水準を目指さねばならないというのもまったくもっともです。そんなことにはまったく反対してません。わたしは、しかし標準はまだ厳密にはさだまっておらず、ゆれがある、という現実を、きちんと辞書は反映すべきである、と述べているのです。わたしが強調し、主張しているのは、この辞書での取り決めをすることに対してではなく、この辞書での取り決めに過ぎないものを、それ以上の何かのように誤解させることは避けるべきである、ということです。というわけで、本質的には、意見の相違はないようですが、正則とだけ書くことで、そういう誤解を招くかどうかという点に見解の相違があるようです。その点で妥協が図れないでしょうか。
 
なお、割り注の形でのレスは、ひとによっては他人の文章の改変(整形)としていやがられることもあります。wikipediaでのチベット関係での議論を参照ください。念のため。
--[[利用者:Gelasinos|Gelasinos]] 2006年5月23日 (火) 12:56 (UTC)
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