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===語義===
*1907年の前田曙山『高山植物叢書』では、三つある用例のうち二つは拉致される対象が植物である。したがって対象が人であることが普通である現代の「拉致する」よりも、むしろ「拉する」と同義である。<ref> 「濫りに山神愛惜の名卉(めいき)を拉致(らつち)し来る、花に対して忸怩たらずんば非ず(p. 78)「憶ふ元禄壬申の昔に於て、此草は早く下界に拉致(らつち)せられたりしなり(p. 86)」:86): [http://books.google.co.jp/books?id=0dNbo-akjLYC&dq=%E5%89%8D%E7%94%B0%E6%9B%99%E5%B1%B1%E3%80%80%E9%AB%98%E5%B1%B1%E6%A4%8D%E7%89%A9%E3%80%80%E6%8B%89%E8%87%B4&hl=ja&source=gbs_navlinks_s 前田曙山『高山植物叢書』第一巻(橋南堂、1907年)- Google eブックス]</ref>。
*雑誌『太陽』に用例が見られるが(1909年)、ここでは「羅致」(=カスミ網で鳥を捕らえること、転じて人材を招き集めることのたとえ)の意味で用いられている<ref>[http://www.ninjal.ac.jp/event/specialists/project-meeting/files/JCLWorkshop_no4_papers/JCLWorkshop_No4_08.pdf 『太陽コーパス』における漢語表記の多様性 - 国立国語研究所]</ref>。
*1916年の立作太郎『戦争と国際法』には「強制的に拉致」「強制拉致」という用例があり、「拉致」という言葉そのものには「強制して―」の意味がないものとして扱われている<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=FX2ykyzrA6sC&pg=RA1-PA86&dq=%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95&hl=ja&sa=X&ei=DOB6VLWIJ4vY8gXQqYLYDQ&ved=0CBwQ6AEwAg 立作太郎『戦争と国際法』(外交時報社出版部、1916年) - Google eブックス]</ref>。したがって「引致」(連れて来る)に近い。
*1918年の『北米合衆国及加奈太に於ける医学教育』では「人材を集める」つまり「羅致」の意味で用いられている<ref>「今後なほハイスクールの學生を醫學校に拉致する必要のありとせば(p. 99)ほか五つ: [http://books.google.co.jp/books/about/%E5%8C%97%E7%B1%B3%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E5%8F%8A%E5%8A%A0%E5%A5%88%E5%A4%AA%E3%81%AB%E6%96%BC%E3%81%91%E3%82%8B.html?id=yRFZK1A2TikC 『北米合衆国及加奈太に於ける医学教育』(文部省、1918年) - Google e ブックス]</ref>。
*1919年の『米国に於ける農業教育』でも「羅致」の意味で用いられている<ref>「以前は、農民を拉致せんがために、面白き話を聞かする事に骨を折りしも(p. 229)ほか五つ: [http://books.google.co.jp/books?id=3X-_VDuMWzoC&dq=%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AB%E6%96%BC%E3%81%91%E3%82%8B%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E6%95%99%E8%82%B2&hl=ja&source=gbs_navlinks_s 『米国に於ける農業教育』(文部省実業学務局、1919年) - Google e ブックス]</ref>。
 
===読み===
*「拉」の読みは呉音「ろふ(ロー)」漢音「らふ(ロー)」、[[入声]]のフツ相通により促音化した際は「らつ(ラッ)」である<ref>同様の読みとして他に「合致」(がふ→がつ)、「雑誌」(ざふ→ざつ)など。</ref>。したがって、「拉致」は本来「らち」としか読めない。
*「拉」をラと読む語としては他に「拉丁(ラテン)」「拉薩(ラサ)」などがある。これは「読ませ字」であって、厳密に言えば「拉」をラと読んでいるわけではない。しかし拉という字に元々なじみの薄い日本にこのような漢語の用字が伝わった結果として「拉の音読みはラである」という誤った認識が広まった可能性がある。
*「らち」という読みがいつごろ現れたかは不明であるが、1928年の高橋義雄『丙寅 大正茶道記』など戦前の出版物にもすでに「らち」とルビを振った例が見られる<ref>「臍の緒切つて初めて茶席に入る者なりと自稱する荒大名なるを、何の苦も無く茶席に拉致(らち)し來りたる當主人の腕力には只管驚嘆の外無かつた(p. 361)」[http://books.google.co.jp/books?id=w1tmLgB3BiAC&dq=%22%E3%82%89%E3%81%A1%22%E2%80%9D%E6%8B%89%E8%87%B4%E2%80%9D&hl=ja&source=gbs_navlinks_s 高橋義雄『丙寅 大正茶道記』 - Google eブックス]</ref>。また日本放送協会が1939年に作成した内部資料『放送用語調査委員会決定語彙記録』によれば、当時のラジオ放送では「らち」と読まれていた<ref>[http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_02/090205.pdf 『戦前の放送用語委員会における“伝統絶対主義”からの脱却』 - NHK放送文化研究所]</ref>。近年は「らち」が広く定着している。