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暴風裏花ほか
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[[category:{{jpn}}_{{noun}}_サ変動詞]]
'''[[拉]] [[致]]'''([[らっち]]、[[らち]])
#(人・物を)てくる、移動すこと。拉すること
#: 濫りに山神愛惜の名卉(めいき)を'''拉致'''(らつち)し来る、花に対して忸怩たらずんば非ず
#: 憶ふ元禄壬申の昔に於て、此草は早く下界に'''拉致'''(らつち)せられたりしなり
#: 「二葉の前即ち腹心の徒を縦(はな)ちて、小簾(をす)を山麓に'''拉致'''(らつち)せしめ」[http://books.google.co.jp/books?id=0dNbo-akjLYC&dq=%E5%89%8D%E7%94%B0%E6%9B%99%E5%B1%B1%E3%80%80%E9%AB%98%E5%B1%B1%E6%A4%8D%E7%89%A9%E3%80%80%E6%8B%89%E8%87%B4&hl=ja&source=gbs_navlinks_s (前田曙山『高山植物叢書』第一巻、p.78およびp.86、橋南堂、1907年- Googleブックス)]
<!--*******この文では小簾は人名なのでしょうか。
#カスミ網で鳥を捕らえること、人材を招き集めることのたとえ。羅致<ref>[http://www.ninjal.ac.jp/event/specialists/project-meeting/files/JCLWorkshop_no4_papers/JCLWorkshop_No4_08.pdf 『太陽コーパス』における漢語表記の多様性 - 国立国語研究所 参照]</ref>。
********語誌を書いた青田です。Google books で原文を読んでいただければわかりますが、人名(女性)です。できれば書き変える前に「議論」ページでやりとりしましょう。-->
#:今後なほハイスクールの學生を醫學校に'''拉致'''する必要のありとせば [http://books.google.co.jp/books/about/%E5%8C%97%E7%B1%B3%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E5%8F%8A%E5%8A%A0%E5%A5%88%E5%A4%AA%E3%81%AB%E6%96%BC%E3%81%91%E3%82%8B.html?id=yRFZK1A2TikC (北米合衆国及加奈太に於ける医学教育、文部省、1918年)]
#カスミ網で鳥を捕らえること、人材を招き集めることのたとえ。羅致<ref>[http://www.ninjal.ac.jp/event/specialists/project-meeting/files/JCLWorkshop_no4_papers/JCLWorkshop_No4_08.pdf 『太陽コーパス』における漢語表記の多様性 - 国立国語研究所 参照]</ref>。
#:以前は、農民を'''拉致'''せんがために、面白き話を聞かする事に骨を折りしも [http://books.google.co.jp/books?id=3X-_VDuMWzoC&dq=%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AB%E6%96%BC%E3%81%91%E3%82%8B%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E6%95%99%E8%82%B2&hl=ja&source=gbs_navlinks_s (米国に於ける農業教育』文部省実業学務局、1919年、p. 229, Googleブックス)]
#:今後なほハイスクールの學生を醫學校に'''拉致'''する必要のありとせば [http://books.google.co.jp/books/about/%E5%8C%97%E7%B1%B3%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E5%8F%8A%E5%8A%A0%E5%A5%88%E5%A4%AA%E3%81%AB%E6%96%BC%E3%81%91%E3%82%8B.html?id=yRFZK1A2TikC (北米合衆国及加奈太に於ける医学教育文部省、1918年)]
#(人をどこかへ)連れてゆく。引致する。<ref>1916年の立作太郎『戦争と国際法』には「強制的に拉致」「強制拉致」という用例があり、「拉致」という言葉そのものには「強制して―」の意味がないものとして扱われている[http://books.google.co.jp/books?id=FX2ykyzrA6sC&pg=RA1-PA86&dq=%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95&hl=ja&sa=X&ei=DOB6VLWIJ4vY8gXQqYLYDQ&ved=0CBwQ6AEwAg 立作太郎『戦争と国際法』外交時報社出版部、1916年 - Googleブックス]</ref>。
#:以前は、農民を'''拉致'''せんがために、面白き話を聞かする事に骨を折りしも [http://books.google.co.jp/books?id=3X-_VDuMWzoC&dq=%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AB%E6%96%BC%E3%81%91%E3%82%8B%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E6%95%99%E8%82%B2&hl=ja&source=gbs_navlinks_s (米国に於ける農業教育』文部省実業学務局、1919年、p. 229, Googleブックス)]
# [[暴力]]や[[脅迫]]で人を[[無理矢理]]連れ去ること。
#(人をどこかへ)連れてゆくこと。連れてくること。引致。
#:つづいてそこへどかどかと捕吏や武士など大勢、土足のままはいって来た。否応もない。陳大夫父子は、その場から'''拉致'''(らっち)されて行った。(吉川英治、『三国志』「草莽の巻」)
#:「英國軍艦が公海に於て其中の印度人をどこかへ)連れてゆく。引致する。<ref>1916年の立作太郎『戦争と国際法』には「強制的に'''拉致」「強制拉致」'''するこいう用例があり、「拉致」は不法いう葉そのものに「強制して―」の意味がねばいものらぬして扱われてい考へ[http://books.google.co.jp/books?id=FX2ykyzrA6sC&pg=RA1-PA86&dq=%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95&hl=ja&sa=X&ei=DOB6VLWIJ4vY8gXQqYLYDQ&ved=0CBwQ6AEwAg (立作太郎『戦争と国際法』外交時報社出版部、1916年 - Googleブックス]</ref>。
<!--#:二葉の前即ち腹心の徒を縦(はな)ちて、小簾(をす)を山麓に拉致(らつち)せしめ(前田曙山『高山植物叢書』第一巻、1907年)*******この文では小簾は人名なのでしょうか。-->
# [[暴力]]や[[脅迫]]で人を[[無理矢理]]連れ去ること。人身の略取
#:つづいてそこへどかどかと捕吏や武士など大勢、土足のままはいって来た。否応もない。陳大夫父子は、その場から'''拉致'''(らっち)されて行った(吉川英治、『三国志』「草莽の巻」)
 
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===読み===
*「拉」の読みは呉音「ろふ(ロー)」漢音「らふ(ロー)」、[[入声]]のフツ相通により「らふ」が促音化した際は「らつ(ラッ)」である<ref>p[[入声]]のフツ相通。同様の読みとして他に「合致」(がふ→がつ)、「雑誌」(ざふ→ざつ)など。</ref>。したがって、「拉致」は本来「らち」とは読めない。
*「拉」をラと読む語としては他に「拉丁(ラテン)」「拉薩(ラサ)」などがある。これは「読ませ字」であって、厳密に言えば「拉をラと読んでいるわけではない。しかし拉という字に元々なじみの薄い日本にこのような漢語の用字が伝わった結果として「拉の日本漢字読みはラである」という誤った認識が広まった可能性がある。
*「らち」という読みがいつごろ現れたかは不明であるが、1928年の高橋義雄『丙寅 大正茶道記』など戦前の出版物にもすでに「らち」とルビを振った例が見られる<ref>「臍の緒切つて初めて茶席に入る者なりと自稱する荒大名なるを、何の苦も無く茶席に拉致(らち)し來りたる當主人の腕力には只管驚嘆の外無かつた(p. 361)」[http://books.google.co.jp/books?id=w1tmLgB3BiAC&dq=%22%E3%82%89%E3%81%A1%22%E2%80%9D%E6%8B%89%E8%87%B4%E2%80%9D&hl=ja&source=gbs_navlinks_s 高橋義雄『丙寅 大正茶道記』 - Google eブックス]</ref>。また日本放送協会が1939年に作成した内部資料『放送用語調査委員会決定語彙記録』によれば、当時のラジオ放送では「らち」と読まれていた<ref>[http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_02/090205.pdf 『戦前の放送用語委員会における“伝統絶対主義”からの脱却』 - NHK放送文化研究所]</ref>。近年は「らち」が広く定着している
*1927年の幸田露伴「暴風裏花」(『竜姿蛇姿』所収)では「拉致」に「らふち」というルビが付されている。しかし1943年の『史傳小説集』では「らち」に改められている。
 
==典拠・注釈==