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'''[[直]] [[情]] [[径]] [[行]]'''([[ちょくじょうけいこう]])
# [[感情]]の[[まま]]に[[もの]]を[[いう|言っ]]たり、[[行動]]したりすること。
#: '''直情径行'''は[[いま|今]]も[[むかし|昔]]も{{おくりがな|医|し|いやし|いやす}}[[かたい|難き]][[余]]の[[やまい|病]]なりしかば、[[しばしば|数ば]][[おおごえ|大声]]を[[はっす{{スル|発|]]}}、[[論戦]][[もし|若し]][[あやうい|危き]]に[[およぶ|及べ]]ば[[いわゆる|所謂]][[よこがみやぶり|横紙破り]]の[[我慢]]をも[[いいだす|言出だし]]き。([[w:山路愛山|山路愛山]]『透谷全集を読む』)
==== 出典 ====
[[{{w:礼記|礼記]]}}[[s:zh:禮記/檀弓|檀弓第4]]
:;文】
::有子與子游立、見孺子慕者。有子謂子游曰、「予壹不知夫喪之踊也、予欲去之久矣。情在於斯、其是也夫」。
:: 有直情而径行者、戎狄之道也。
::子游曰、「禮有微情者、有以故興物者、有'''直情'''而'''徑行'''者、戎狄之道也。禮道則不然、人喜則斯陶、陶斯咏、咏斯猶、猶斯舞、舞斯慍、慍斯戚、戚斯歎、歎斯辟、辟斯踊矣。品節斯、斯之謂禮。人死、斯惡之矣。無能也、斯倍之矣。是故制絞衾、設蔞翣、爲使人勿惡也。始死、脯醢之奠。將行、遣而行之、既葬而食之。未有見其饗之者也、自上世以來、未之有舍也。爲使人勿倍也。故子之所刺於禮者、亦非禮之訾也」。
:;書き下し訓読文】
:: [[情]]を{{おくりがな|直|く|なおく|なおし}}して{{おくりがな|経|ちに|ただちに}}に[[おこなう|行う]]ある[[者]]{{おくりがな|有|り|あり}}、{{ふりがな|戎狄|じゅうてき}}の[[道]]なり。
::{{ruby|有子|いうし}}、{{ruby|子游|しいう}}と[[たつ|立ち]]て、{{ふりがな|孺子|じゅし}}の[[したふ|慕ふ]][[もの|者]]を[[みる|見る]]。有子、子游に{{おくりがな2|謂|い|ひ|いふ}}て[[いはく|曰く]]、「{{ふりがな|予|われ}}{{ふりがな|壹|いつ}}に{{おくりがな2|夫|か|の|かの}}[[も|喪]]の[[踊]]を[[しる|知ら]]ず、予{{ふりがな|之|これ}}を[[さる|去ら]]むと[[ほっす|欲する]]や[[ひさし|久し]]。{{ふりがな|情|じゃう}}{{ふりがな|斯|ここ}}に[[あり|在り]]、[[それ|其れ]]{{ふりがな|是|ぜ}}なるか」と。
::子游曰く、「礼は情を{{おくりがな2|微|そ|ぐ|そぐ}}者[[あり|有り]]、故を以て物を[[おこす|興す]]者有り、'''情を{{おくりがな2|直|なほ|く|なほし}}し'''て'''{{おくりがな2|径|ただ|ち|ただち}}に[[おこなふ|行ふ]]'''者有り、{{ふりがな|戎狄|じうてき}}の[[みち|道]]なり。礼の道は則ち然らず、人[[よろこぶ|喜ば]]ば[[すなはち|則ち]]斯に{{おくりがな2|陶|たの|しみ|たのしむ}}、陶しまば斯に{{おくりがな2|咏|うた|ひ|うたふ}}、咏はば斯に{{おくりがな2|猶|うご|き|うごく}}、猶かば斯に[[まふ|舞ひ]]、舞はば斯に{{おくりがな2|慍|いきどほ|り|いきどほる}}、慍らば斯に{{おくりがな2|戚|うれ|ひ|うれふ}}、戚へば斯に[[なげく|歎き]]、歎かば斯に{{おくりがな2|辟|むねう|ち|むねうつ}}、辟たば斯に踊る。{{ふりがな|斯|これ}}を[[品節]]する、{{ふりがな|斯|これ}}を{{ふりがな|之|これ}}礼と謂ふ。人[[しぬ|死な]]ば、斯に之を{{おくりがな2|悪|にく|む|にくむ}}。{{おくりがな2|能|よ|く|よく}}すること無くんば、斯に之に{{おくりがな2|倍|そむ|く|そむく}}。{{おくりがな2|是|こ|の|この}}{{ふりがな|故|ゆゑ}}に[[絞衾]]を[[制]]し、[[蔞翣]]を[[まうく|設く]]。人をして[[にくむ|悪む]]{{おくりがな2|勿|な|から|なし}}しめむが{{ふりがな|為|ため}}なり。[[はじめ|始め]]死なば、{{ふりがな|脯醢|ほかい}}の{{ふりがな|奠|てん}}あり。{{おくりがな2|将|まさ|に|まさに}}[[ゆく|行か]]むとせば、{{ふりがな|遣|けん}}して之を{{おくりがな2|行|や|り|やる}}、[[すでに|既に]][[はうむる|葬り]]て之に[[くふ|食は]]しむ。[[いまだ|未だ]]{{おくりがな2|其|そ|の|その}}之を{{おくりがな2|饗|う|くる|うく}}を見る者有らざるも、[[上世]]より[[以来]]、[[いまだ|未だ]]之を{{おくりがな2|舎|や|むる|やむ}}もの有らざるなり。人をして[[そむく|倍く]]こと勿からしめむが為なり。故に{{ふりがな|子|し}}の礼に{{おくりがな2|刺|そし|る|そしる}}所の者も、{{おくりがな2|亦|ま|た|また}}礼の{{ふりがな|訾|きず}}に[[あらず|非ざる]]なり」と。
:;【現代語訳】
::{{ruby|有子|ゆうし}}が{{ruby|子游|しゆう}}と立っていて、[[幼児]]が(死んだ親を)[[したう|慕っ]]て泣くのを見た。有子が子游に[[いう|言っ]]た、「今まで私には、喪の儀礼の中に踊がある理由が分からず、あのようなものは[[廃止]]すれば良いのに、と長いこと考えていた。(だが、故人を慕う)感情がそこにはあって、(踊があるのは)正しいのだな」。
::子游は言った、「儀礼には、感情を抑えて表現するものもあり、[[ことがら|事柄]]に応じた([[道具]]や[[服装]]などの)物によって感情を引き起こすものもある。(だが、)むき出しの感情をそのまま表現する儀礼があるとすれば、それは[[蛮族]]の振る舞いである。儀礼のあり方はそういうものではない。人は、喜べば[[陶然]]となり、陶然となれば[[うたう|歌い]]、歌えば体が[[うごく|動き]]、動けば[[まう|舞い]]、舞えば[[興奮]]し、興奮すれば心が痛み、心が痛めば[[なげく|嘆き]]、嘆けば[[むね|胸]]を[[たたく|叩き]]、胸を叩けば足が[[おどる|踊る]]ものである。こうした[[もろもろ|諸々]]の[[動作]]を調節したもの、これを儀礼というのである。人が死ねば(他の人々は)[[遺体]]を忌み嫌い、(死んで)何もできなくなるから、(他の人々は)[[死者]]から離れてゆく。だから遺体に服を着せたり{{ふりがな|褥|しとね}}に寝かせたり、[[ひつぎ|柩]]に[[装飾]]を[[ほどこす|施し]]たりする。人々が(死者を)忌み嫌わないようにするためである。また。死ねば[[干し肉]]や[[しおから|塩辛]]を[[そなえる|供え]]、([[埋葬]]に)行こうとする際には遣車に[[供物]]を載せ、埋葬を済ませると(供物を)死者に食べさせる。未だかつて、死者が供物を実際に食べるさまを見た者などいないが、それでも[[古代]]から今に至るまで、未だこの儀礼をやめた者はいない。(この儀礼は)人々が(死者から)離れてゆくことのないようにするため(に決められたもの)なのである。だから、君が儀礼について疑問を持った点でさえも、(それなりの目的があって決められたものであり、)決して儀礼の欠陥ではないのである」。
 
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#(日本語に同じ)