かも【鴨】を作成中です。助詞の[かも]の取り扱いについて 編集

トーク:鴨:かも=カモの項目記事作成の相談の議論を経て、かも【鴨】の項目を制作中です。フォーマットなどは、テンプレート標準・日本語と、ねこと、の項目を参考にして、原稿は出来つつあります。
かも【鴨】の原稿では、現在のところかも終助詞係助詞(古語雅語の傾向はあり)または、連語の、かもを、言及するか? どうか? について、お尋ねします。

現実問題、上記のかも(和語・平仮名表記)終助詞・連語かもを、別の項目で立てる場合、 編集

古語、雅語の傾向を帯びた、終助詞の記述を一緒にするか? 別にするか? も問題に成りますし、未だ未だフォーマット問題では指摘も多いのに、かも助詞・連語を完成段階まで書くとしたら、難しい勉強を強いられ、かも【鴨】の掲載は更に遅れます。 かも【鴨】名詞は、生物食品面の知識も幾分は有り、Wiktinaryも少しばかり加筆編集して来たので何とか成りました。
わたしとしては、今回はかも【鴨】だけをWiktinaryに掲載し、助詞かもは、次の機会にしたいところですが…これではWiktinaryはかも関連の辞書として完成した事には成りません。 かも【鴨】先行で良い』とは言い辛いかも知れませんが…ご意見を賜ります。
なお、かもと言う和語・平仮名表記の項目を立てる以上、副詞のかもに付いても、最小限度の研究・調べは行い、予定原稿には、副詞の見出しに拠るかもの項目は、作成済みです。但し、英語・中国語などへの翻訳の部分は他、完成原稿までは困難と言う趣旨です。--みぃにゃんトーク2013年1月13日 (日) 23:09 (UTC)[返信]

《その後の調査・研究を経て再度コメント》 編集
  • かもについて、その後も、時間が空き、手が空くと調べています。ただ、鴨、鳬、加茂、賀茂、助詞の組み合わせたるかも(古語傾向はあり、何処まで採り上げるか難しいが)更に難関が、『かもしれない連語項目で例示の上、成句熟語と扱うと書いてしまっている点』で、明示して下さっても、辞書・資料では圧倒的に連語と書いてある事。此処がかも項目原稿の『著述・制作』が難関と成って居ます。
    ある一面、大変なご迷惑をお掛けしますが、この後も全くご意見も、コメントも無いとなると、資料照合に従いながら、かも原稿は、アップロードするしかないと決断せざる得ないと感じています。
  • かも知れないには、同じ文法・成り立ちの、○○●知れない ○○部は語幹もしくは名詞。●部は語尾や助詞 既存の例では、成句扱いの気が知れないが立項されています。
    決して逆らうのでは無く、書き込みや、原稿の仕上げ前に、再度、お尋ねします。
かも知れないを掲載しながら、連語を明示しない辞書も一つ見受けましたが…こちらも、『○○●知れない』では、連語になったり、熟語になったり、ゆれが有りますし、かもが、実質的に古語の説明と化し、『○○かもね。』の説明が無く、『○○かな』だけを近代~現代語として挙げています。そうなると、現代では和歌・俳句にだけ残る、古語に近い扱いで、『助詞を組み合わせたかも』は扱う事になり、『○○かもなあ。』『○○かもね。』は挙げ辛く、難しいものと成って居ます。→資料・辞書としては、丸ごと連語に挙げた上で、成句として扱うと注記した方がわかり易そうですが、慣用句、成句、熟語、それぞれの境界はあいまいです。
お答えは今後とも出来る範囲で待ちしていますが。此処ままコメントが頂けないと、係助詞・係助詞、副助詞・係助詞の組み合わせに由来するかもは、古語以外に使うもの、現代でも使うものを採り上げる方針で仕上げて、『かも項目新規原稿』を掲載・立項したいと思います。--みぃにゃんトーク2013年1月30日 (水) 16:10 (UTC)[返信]
はじめまして、サンドボックスのかものページを拝見しました。みぃにゃんさまのご意見をお聞かせください。
1、名詞と動詞を同じページに書くのは辞書として利用し難いのではないでしょうか?
 かも、という、言葉の使い方が、動詞ではないですが。物質の、鴨と、地名の加茂など、
名詞と動詞の違いと同じかもしれないと感じたのです。
名詞と動詞を違うページに、順序表記すると、なにかの一覧表示で、関係をつなげなければ利用できません。 
2、そのあたりのことを、みぃにゃんさまのトークページを使って書き込みしても、よろしいでしょうか? 
 カタカナ外来ゴ (トーク) 2013年3月11日 (月) 14:53 (UTC)[返信]

  コメント(字下げを戻します)カタカナ外来ゴさん、コメント下さって本当にありがとう御座います。感謝します。

  • 議論が拡散するといけないので、sandboxの事は、其処のかも(sandbox)のトークページで議論しましょう。今までの経緯が有って、カモ(カタカナ=生物・鳥類)を独立項目として立項し辛い形になったのです。ただし、Mtodoさんからはっきり駄目だとコメントを受けたわけでもなく、いわんや、他の管理者・先輩から、明確な「かも」纏め項目の提案、意見があったわけでは有りません。筋の通った、指導と意見提案があっただけです。→(具体的は、後でリンクを並べることにします。)

コミュニティやウェブサイトの機能への言及でも書いている通り筋論としては、『議論の場所を区分して、辞書本文に自己言及を書かない』だけですが、議論を方法についてもガイドライン草案などを読むと、提案されています。 $わたしは、Mtodoさんの提案は、Wiktionaryの現実からは、方向的には正しいと思います。(《Wiktionary(管理業務)の現実とは》『ビューロクラットと、管理人を兼ねているMtodoさんが、八面六臂四方八方に目覚しい働きをしている※の活躍で何とか管理をしている』現実は有ります。)ただ、Mtodoさんと、WikipediaProjectの特徴が出て、配慮が規定の複雑化を産み、ガイドライン案はかなり複雑です。直ぐには決まらないし、拙速を求める事には反対です。この意見は、折をみて、「コミュニティやウェブサイトの機能への言及」自分で書き込みます$
今、かもの議論への直接的影響としては、コミュニティやウェブサイトの機能への言及で、議論紛糾している矢先に、我々が混乱を呼びたくないのです。 ただし、出来れば、Mtodoさんにも、かも立項の議論をする場所について意見があれば、この項目(見出し)にコメントを頂きたいと思います。(Mtodoさんからコメントが有って、そのコメントが、筋が通っているか、現実的か、最小限どちらかが有って、参加者に異議が無ければ、に従いたいと思います。※全然駄目だとこの議論も紛糾してしまいますね※)--みぃにゃん (トーク) 2013年3月11日 (月) 16:47 (UTC) ※尚、今までの経緯と沿革については、議論する場所に、リンク集を書き込んで解るように配慮しますね。概略は、利用者:みぃにゃん#トーク:鴨#の議論を経て、かも(カモ)の項目作成準備 に、書いて有ります。※ [返信]

西語の del の意味を検索できますか? 編集

スペイン語の del という言葉の意味を知りたいのですが、どのように調べることができるでしょうか? >El mejor baterista del mundo-  世界で最高の~ という意味らしいのですが、単語を検索しても  何も見つからないのです。—以上の署名の無いコメントは、カタカナ外来ゴ会話履歴)さんが[2013年1月30日 (水) 17:12 (UTC)]に投稿したものです(Mtodoトーク)による付記)。[返信]

delが作成されてしかるべきですが未作成です。で、スペイン語でdelは前置詞de + 定冠詞elです。定冠詞には特に意味はありませんから、語義については、こちら(de#前置詞_3)をご参照ください。--Mtodoトーク2013年1月30日 (水) 17:34 (UTC)[返信]

日本語漢字の読み追加 編集

はじめまして。漢字「」の読み「だ」や「」の「がわ」のような、常用漢字表や漢和辞典ではあまり定義されていないが、書籍や会話では長期間日常的に用いられている漢字読みは、積極的に追加しても問題ないでしょうか。 また、付与の指針(例えば、参考文献や規則等)があれば、共有いただければ幸いです。Kassajanトーク2013年2月8日 (金) 15:37 (UTC)[返信]

常用漢字の訓読みで常用漢字表に載ってないものは、表外として記述しております。ただ、ご指摘の読みは、その漢字の読みと言うよりは「連濁」現象で語と切り離して単独の漢字の読みとしては適当ではないので載せるべきではないでしょう。また、人名はほぼ無法地帯なので、歴史上の著名人程度に限るほうが賢明ですし、「訓読み」と「字訓」の峻別は必要です。
指針などを整理しているわけではありませんが、Wiktionary:スタイルマニュアル/漢字や、その議論であるWiktionary・トーク:スタイルマニュアル/漢字は理解の一助になるかと思います。--Mtodoトーク2013年2月8日 (金) 18:29 (UTC)[返信]
「読みはわかるが表記がわからない」という利用者の便を考えて、読みに相当する項目のほうで説明するのはいかがでしょうか。たとえば漢字「田」の読み「だ」については、が別の語義で立項されているので、そこに付け加える形で一言「の連濁時の読み」などと説明するぶんには、悪くないのではないでしょうか。がわをわざわざ同じ目的のためだけに立てるべきかについては、あまり自信がありませんが。 --whymトーク2013年2月23日 (土) 07:57 (UTC)[返信]
確認不足ですみません。上記のような目的はすでに、Wiktionary:漢字索引 音訓 た#だと、「」からそこへの誘導によって果たされているようです。 --whymトーク2013年2月23日 (土) 08:09 (UTC)[返信]

WT:SD 他プロジェクトからの正しい手続き の要件、教えてください。 編集

> Mtodo  さま。

 WT:SD<を、見ましたが、何が必要なのか? 書いていないです。 どこに、どこからの、引用かを各表があるのですか? 引用元、は、英語版と書けばいいのでしょうか? 

 あるいは、他言語版のウィキペディアからの、正しい引用の要件、を、解説してあるページを教えてください。 カタカナ外来ゴトーク2013年2月15日 (金) 01:39 (UTC)[返信]

 かに、crabの、ノート(議論)ページにも書きましたが、見出しページをつくりました。
オクトパス、たこのページにも、発音の節がある。そこには何も引用は、記述なし。  カタカナ外来ゴトーク2013年2月15日 (金) 04:30 (UTC)[返信]

Wikipediaにある解説ですが: w:Wikipedia:翻訳のガイドライン --kahusi (會話) 2013年2月15日 (金) 10:09 (UTC)[返信]
kahusiさんのご教示のとおりです。ですから、現在のcrabもこの要件を満たしていません。ということで削除しますので、ルールに従い再作成ください(対象部分を除去するだけでは履歴が残るので削除を要するのです)。octopusも履歴を確認してください、最初の出典は記載されています。--Mtodoトーク2013年2月15日 (金) 14:28 (UTC)[返信]
一往、Wiktionary内の項目も: Wiktionary:翻訳FAQ --kahusi (會話) 2013年2月16日 (土) 11:25 (UTC)[返信]

「ウィクショナリーへの自己言及」について 編集

ちょっと記事を作成しているときに、思うことがあって、w:Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及を下敷きに、ルールの草案を関連テンプレート「テンプレート:WiktionaryPage」とともに作成してみました。「正字」や「連語」の記事に反省するところがあります。

1週間程度の議論で、紛糾しないようでしたら正規のルールとし、本ルールに基づいた対処をしたいのですがいかがでしょうか。--Mtodoトーク2013年2月21日 (木) 20:26 (UTC)[返信]

  支持 凡例を別に作成して、そこへ誘導する感じで良いと思います。--kahusi (會話) 2013年2月22日 (金) 09:54 (UTC)[返信]
  支持: これは要りますね。スタイルマニュアルの一部ないし関連ガイドラインといった位置づけかな。 --Kanjyトーク2013年2月22日 (金) 11:32 (UTC)[返信]
  コメントTemplateの作成は、歓迎します(賛成)。 自己言及ガイドラインの草案については、賛否を留保します。Mtodoさんが、書いてくださった自己言及ガイドラインの草案を一回斜め読みをしただけでは、十分に解らない難解さが有りました。この状態で賛成とは書けません。ただ、自己言及を区別し、名前空間をきちんと分けるのは、検討するべきだとは認識します。『一週間、反対意見がないと、正式ガイドラインにする』と書いて有ったので、取り急ぎコメントを残します。--みぃにゃんトーク2013年2月25日 (月) 10:37 (UTC)[返信]
 反対 いやむしろ自己言及してもらわないと困ります。現に困ってます。というのもルール作りや裁定に関する議論を覗けば、
>主な理由の一つは、辞書の記事として、辞書への自己言及は記事の主題からの脱線を招くとみなされているからです。
など管理者や記事作成者独自のかくあるべき論を基にルールが記述されたり議論されたりして意見が食い違えば大元の概念認識が違うのでずっと平行線を辿るわけです。結局のところwiktionaryとは何なのか辞書とは何なのか、一般人がより目を通すwiktionaryや姉妹プロジェクトのwikipedia上の記事の中で、ある程度一般的なコンセンサスとしての定義を確立させてその上に立ってかくあるべき論を戦わせないと建設的な議論になりません。双方自分のべき論が如何に一般的であるのかを主張するだけで、結局多数決や管理人裁定による異端者排除などに繋がり「誰もが編集できる」という理想を歪めている主要な要因にもなっているわけです。
Mtodoさんがいろんな局面で言及する「辞書とは」かくあるべき論は本当に一般性を持ちえているのでしょうか?wiktionaryやwikipediaで辞典辞典を調べましたが事典的なwikipediaの方ですらそれを裏付けるだけの十分な記述が見当たりません。扱ってるプロジェクトの記事に十分な定義も記載されていない独自の使い方を用いて一般的な許容基準を語って断言している、とも穿った見方をすれば取れなくはないわけです。
ちなみにリンク先の自己言及のパラドックスは単なる曲学阿世にしか自分には映りませんでした。いったい何が問題なのかさえ理解できません。この文章が偽であることは、この文章が同時に真であることを否定しないはずですよねw偽の曖昧性が許容するはずです。数式と違って言葉とはそういうものだと思いますが。--219.211.122.141 2013年3月3日 (日) 02:20 (UTC)[返信]
  コメント事情によりレスポンスが遅く申し訳ありません。まず、簡単に答えられる本件から、コメントします。例えば、「言葉」の定義について言えば、それは唯一与えられるものではなく、使用局面により変わりえます。辞書はその機能として、それらを全て羅列することが望ましいものです。
しかし、wiktionary(wikipediaも同様)はプロジェクトなので、その編集においては、一定のルールが必要です。wiktionary内で用いる、用語の定義がそのひとつであり、この場合、定義が複数あるときにいずれでもよいというわけにはいきません。プロジェクトを進める上で、「この言葉の定義は『~』です」を決める(選択する)必要があります。その事情にいたった説明などを記述するのは、記事(正しくは名前空間の内、標準となるもの)においてなされるべきでないということを言っています。この語彙を調べようとする人に、wiktionaryの事情などは関心ないことだからです。議論は空間を変えて行えばよいと考えます。--Mtodo (トーク) 2013年3月9日 (土) 00:05 (UTC)[返信]


> 例えば、「言葉」の定義について言えば、それは唯一与えられるものではなく、使用局面により変わりえます。辞書はその機能として、それらを全て羅列することが望ましいものです。

もちろんです。言葉は常に変わります。それらを全て羅列することが望ましいものです。しかし2chの件も含めて新語をあれだけ毛嫌いしていたMtodoさんから「それらを全て羅列することが望ましいものです」というお言葉をもらえるとは思いませんでした。権威主義的なもの以外排除する人かと思ってましたので。ちなみに言葉は今も現在進行でどんどん変わっています。仮に今使われているすべての言葉を辞書に収めることができたとしても、明日には古いものに変わってしまいます。そのことをお忘れなき用にお願いします。


>しかし、wiktionary(wikipediaも同様)はプロジェクトなので、その編集においては、一定のルールが必要です。

もちろんその通りです。そのルール形成の仕方にはWikipedia含め疑問を持ち続けています。他のwiki関連から離れていった人も同じ思いの人は多いでしょうし、掲示板などでよく耳にします。僕が今回問題提起したかったのはその中で管理人周辺のインナーサークル内で一般人には目立たないところでコソコソアリバイ作りをしながら既成事実化してルールにしてしまってる現状は「誰もが編集できる」という理想を歪めているということです。


>wiktionary内で用いる、用語の定義がそのひとつであり、この場合、定義が複数あるときにいずれでもよいというわけにはいきません。

もちろんwiktionary内で使われる特定の用語の意味は特定されなければなりません。しかしながら、だからといって私的なプロジェクトのように特定の用語が特殊な意味になってはならないということです。業界内、内内でのコミュニケーションのために特殊な意味で使われているなら文句は言いません。しかしこれはオープンプロジェクトであって「誰もが編集できる」と謳っているプロジェクトです。ルールを形作っている用語がwiktionary内のみで通用する特殊な意味で解釈されるのはおかしくないですか?wiktionary内で使われる特定用語といえども大半の利用者は一般人であるはずなので、どっかの国の法解釈のように一般的な意味からかけ離れてしまってはいけないと思います。僕が指摘しているのはその点です。


>プロジェクトを進める上で、「この言葉の定義は『~』です」を決める(選択する)必要があります。

もちろんその必要性はありますが、意思決定過程や決定事項は十分公示されていますか?


>その事情にいたった説明などを記述するのは、記事(正しくは名前空間の内、標準となるもの)においてなされるべきでないということを言っています。

管理人や重度のウィキペディアンさん達を基準にしない方がいいです。wiktionary内でわからない言葉や言葉の使い方があった。普通の人は、そのままwikipediaかwiktionaryでまず一般的な意味から調べると考えるのが自然です。


>この語彙を調べようとする人に、wiktionaryの事情などは関心ないことだからです。議論は空間を変えて行えばよいと考えます。

wiktionaryの事情を垣間見ようとしてある言葉の語彙を調べようとする人は除外ですか???ある言葉の語彙を調べようとしている人は、wiktionaryに限らす手元で足りる辞書、検索で一番上にヒットする辞書をまず調べようとします。この語彙を調べようと「wiktionaryで調べる」人は、もはやwiktionary関係者であり、wiktionary愛好家であり、wiktionaryの事情は少なからず関心はあると思いますよ。ちなみにMtodoさんの「辞書的に」という言い回しに疑問を持った僕が真っ先に調べたのは、google先生が一番上に出す辞書でも、お気に入りに入っているyahoo国語辞典でもなく、wiktionaryの辞書記事であり、wikipediaの辞書記事であったのは紛れもない事実です。


ちなみに英語版のwordsmithingという単語はwordsmithの動詞用法の現在分詞ですが、個別の語として他の英英にはまったく載っていません(ああスラング使用はurban dictionaryに出てますが)。onelookという串刺し検索できる検索エンジンでも意味が出てくるのはwiktionaryとurban dictionaryのみです(Wordsmithing is NOT a Word!って記事もあるくらいだし)。Weblioもwiktionary引用でしか載ってませんね。これがいわゆるwikipediaや「ウィクショナリーへの自己言及」になりますよね。もし問題だということでしたら英語版のwiktionaryの方でこの立場に立ってwordsmithingの記事の削除依頼を出されてみてはいかがでしょうか?大本英語版のこの件に関する意見もわかりそうですし。 --219.211.122.141 2013年3月9日 (土) 04:51 (UTC)[返信]

>管理人や重度のウィキペディアンさん達を基準にしない方がいいです。wiktionary内でわからない言葉や言葉の使い方があった。普通の人は、そのままwikipediaかwiktionaryでまず一般的な意味から調べると考えるのが自然です。
そのために、今回あわせて、「テンプレート:WiktionaryPage」を作成しています。wiktionaryにおいて、品詞や文法機能を意味する語について、どのような定義であるかは、あくまでもプロジェクトの都合であって普通の人が気にすることではないでしょう。
典型例は、wikipediaにおける「w:名前空間」と、WikiMediaProjectにおける、名前空間の用法(w:help:名前空間に記述)と考えています。
wordsmithingの件はご主張のとおりだと思いますが、他プロジェクトのことで、個人的には興味ありません。ウィクショナリー英語版とウィクショナリー日本語版は別のコミュニティによって構成されてますから、いくらかのルールが異なっていてもしかるべきと考えています。--Mtodo (トーク) 2013年3月9日 (土) 14:04 (UTC)[返信]


>そのために、今回あわせて、「テンプレート:WiktionaryPage」を作成しています。wiktionaryにおいて、品詞や文法機能を意味する語について、どのような定義であるかは、あくまでもプロジェクトの都合であって普通の人が気にすることではないでしょう。

もう一度確認したいのですが、wiktionaryは誰もが編集できるプロジェクトなんですよね?つまり検索したその時点ではただ辞書として意味や用途を調べたい人だとしても、将来的に辞書編纂に参加する可能性もあり門戸も常に開いているということですよね。誰もが編集できるということは誰もがいつでもこのプロジェクトにコミットする可能性を持つということです。つまり普通の人でも、管理人やウィキペディアンと同じくプロジェクトに関してどのように成り立っているのか気にする大義名分はあるということです。プロジェクトの都合だからと勝手に割り切って、辞書の項目から分けるというのは理解できません。辞書はその機能として、それらを全て羅列することが望ましいものとするならばプロジェクトの都合だろうがなんだろうが、全部の定義の羅列を志向するのが当然の流れなんだと思いますが、プロジェクトの都合であって普通の人が気にすることではないとして全て羅列することが望ましいものであるはずなのに、特段除外するというのはどういうことなのでしょうか?


  • 誰もが編集できるプロジェクトなのに、一般の人、普通の人には必要がないからと除外する。


  • 辞書とは全て羅列することが望ましいものと自ら定義付けしているのに、プロジェクトの都合だからと除外する。


2点まったく理解に苦しみます。


>典型例は、wikipediaにおける「w:名前空間」と、WikiMediaProjectにおける、名前空間の用法(w:help:名前空間に記述)と考えています。

記事名に関する名前空間の干渉の問題は、上記のようにわざわざウィクショナリーへの自己言及を制限するほどのものではないと思われます。別に曖昧さ回避のページを中に噛ましてやれば済む問題にも思えるのですが、そんなに大事にしてルールとして自己言及を制限するのは別の意味があるんじゃないかとどうしても勘ぐってしまいます。


>wordsmithingの件はご主張のとおりだと思いますが、他プロジェクトのことで、個人的には興味ありません。ウィクショナリー英語版とウィクショナリー日本語版は別のコミュニティによって構成されてますから、いくらかのルールが異なっていてもしかるべきと考えています。

別コミュニティとはいえあちらが本家大元的なものだと理解しておりましたが違うのでしょうか?それならWiktionary:ウィクショナリーへようこそのウィクショナリーについてにおいて、wikipediaとの違いの叙述に平行して、「ウィクショナリー英語版他、各言語版は同じウィキショナリーと名がつく姉妹プロジェクトで各ページ相互リンクしていますが、別プロジェクトです。」という文言も加えるべきです。Wiktionary・トーク:ウィクショナリーへようこそにおいてその事を追加提案しておきました。 --219.211.122.141 2013年3月10日 (日) 05:22 (UTC)[返信]

  コメント「テンプレート:WiktionaryPage」を利用するのは、単に一般的な辞書で凡例は各項目には書いていないという先例があるために、それに倣っているという事だと存じます。編集可能なプロジェクトと雖も、IP氏が述べている事はそれを変えるに値する理由とは思えません。--kahusi (會話) 2013年3月10日 (日) 10:46 (UTC)[返信]


>「テンプレート:WiktionaryPage」を利用するのは、単に一般的な辞書で凡例は各項目には書いていないという先例があるために、それに倣っているという事だと存じます。


その先例は、紙の辞書編纂の中で培われた先例であって、wiki文化で培われたものではないと思います。[wiktionaryは紙の辞書ではありません]と特段謳っているプロジェクトが何の吟味なしで紙の辞書編纂文化をそのまま先例として導入していいものでしょうかね。紙の分厚い辞書で凡例を全体の中からいちいち引くのは非効率ですが、リンキング文化の中では効率性は変わりません。曖昧さ回避のページを中に噛ましてやれば済む問題にも思えるのですが。ちなみにあの草案のこの部分は誤訳と考えます。トークの方に指摘しておきました。


>編集可能なプロジェクトと雖も、IP氏が述べている事はそれを変えるに値する理由とは思えません。


なぜ「誰もが」を抜かしているのでしょうか?「誰もが編集可能なプロジェクト」で、もはやないのなら、その看板をそろそろ下ろしませんか?


ちなみに「それを変えるに値する理由」があるとすればkahusi 氏はどういうものだと思われているのでしょうか。ご指摘下さい。


百歩譲って「凡例を別に作成して、そこへ誘導する感じで」「テンプレート:WiktionaryPage」を扱うとしても、それに乗じて「ウィクショナリーへの自己言及」を悪戯に制限することには到底賛成できません。 --219.211.122.141 2013年3月11日 (月) 00:52 (UTC)[返信]

先ず、「誰もが」を抜かしたのは失念でありました。申し訳ありません。
さて、逆に申しますと「何の吟味なしで」先例を無闇に変更するのは果して何うなのか、とも言えます。また、「それを変えるに値する理由」を考えるのは変えるべきと考えている側でしょう。
もう一つの「先例」として、姉妹プロジェクトであるWikipediaで「WiktionaryPage」と同樣の方法を採っているのもあります。
WiktionaryPageによって、リンクを一つ咬ませる程度で障害となるのであれば、記事とノートで別のページになっている事から既に障害たり得ているのが現状であると申します。さういったページの分け方との整合性・一貫性も考慮すべきでしょう。また曖昧さ回避を挾むのは徒に手間を増やすだけなので無用です。
Wiktionaryの凡例としての語義を記述した時、一般的な語義と異なる事があり得ます。それを通常の項目へ挿入して仕舞つては、事なる語義の一般化に繋がる虞があります――それが「Wiktionaryでの用法」と記してあつても。--kahusi (會話) 2013年3月11日 (月) 10:46 (UTC)[返信]


>さて、逆に申しますと「何の吟味なしで」先例を無闇に変更するのは果して何うなのか、とも言えます。また、「それを変えるに値する理由」を考えるのは変えるべきと考えている側でしょう。

紙の辞書ならば書いてある場所は物理的に決まってしまいます。ですから凡例はまとめて集約した方がよかった。「一般的な辞書で凡例は各項目には書いていない」という先例は多分そこから生まれたのでしょう。ですがネットの辞書においてはリンキングの設計の問題であり書かれる場所に関しては物理的な制約はありません。利用者にとって凡例が集約されているように見えるか見えないかはリンキングの設計次第であって、一般語の項目と併記されているかどうかではないはずです。確かに今まで紙の辞書しかなかったわけですから、紙の辞書を引くときに身についた「凡例は巻末」と習慣づいている人は多いかもしれませんが、これからの学習者はどうでしょうか?私事で恐縮ですが紙の辞書はもう何年も開いてません。そういうのが当たり前になっていく世代の人が「凡例は巻末」の先例を受け継いだ運用をみてどう思いますかね。先人が「紙の辞書ではありません」と殊更注記した意味は、そういうところの柔軟性を積極的に許容しながら、新たに今に合った辞書のスタイルを模索確立させていこうという表れだと理解しています。


>もう一つの「先例」として、姉妹プロジェクトであるWikipediaで「WiktionaryPage」と同樣の方法を採っているのもあります。

確かに姉妹プロジェクトと同じ形式でという判断は自然かもしれません。しかし案内文にて「目指すものや編集方針はウィキペディアとウィクショナリーで大きく異なります。」としているわけでwiktionaryで別の形式を採用することを忌避していません。よりよい形式が合意の上採用されてあちらに影響を与えたっていいわけです。

>曖昧さ回避を挾むのは徒に手間を増やすだけなので無用です。

他の一般語では、徒に手間を増やしても曖昧さ回避をすでに挾んでいますよね。例え使用がひとつの語義に集中していたとしても。

その辺の整合性はどうなのでしょうか?

どちらにしろ一般語ですでに利用者にとって煩雑な「曖昧さ回避」が導入されているわけだから凡例をそれに準じても利用者から見て殊更煩雑さを増やす結果にはならないと思われます。それに凡例を調べる人用には凡例をまとめたページをわかりやすいところに示しておいて、そこから「Wiktionary用法:○○」に直接リンクさせれば問題ないと思いますが。


>Wiktionaryの凡例としての語義を記述した時、一般的な語義と異なる事があり得ます。それを通常の項目へ挿入して仕舞つては、事なる語義の一般化に繋がる虞があります――それが「Wiktionaryでの用法」と記してあつても。

「Wiktionaryでの用法」と題名でわかるように記載して分岐すれば、「異なる語義の一般化に繋がる虞」れに繋がっても問題ないと思います。


というか語義の変遷に影響を与えてはいけないのですか???


歴史的に見れば、間違っているかもしれないけどそういう語義の変遷は往々にして起こりますし、それが言葉というものです。教育大臣が裸の動詞はかっこ悪いし低俗に見えるからshallをつけるようにとトップダウンをやった結果現在の英語学習者を混乱に陥れていることに比べればかわいいもですし、助平な地方出張者が遊郭通って遊郭言葉の「ですます調」が東京方言と間違われたまま大政奉還、結局標準語に収まったのに比べれば崇高でしょwもしwiktionaryがそういう制度を採用して、その特殊な使い方が一般化するのであれば、それはwiktionaryが日本で影響力を持つほどに受け入れられた証であって、別に悪いことだとは思いません。ギャル語もコンビニ敬語も2ch語も、ある程度受け入れられ使われてるならそれはもはや正しい日本語であるという僕の言語倫理観からすると、何が問題なのかわかりません。


最後に「テンプレート:WiktionaryPage」導入による「ウィクショナリーへの自己言及(草案)」の導入が僕はどうしても毒饅頭に見えて仕方がないのです。設計したMtodoさんの意図は計りかねますが、穿った見方をすれば「テンプレート:WiktionaryPage」導入に乗じて「ウィクショナリーへの自己言及」を制限することで、根本的な拠り所を一般利用者から隠し忌避してしまうのではないかという懸念です。今までも他のところで僕が指摘しているように話が平行線になったときにじゃあどこに拠り所を見つけて正当性を競うのかということが話し合いの議論に根本的に欠けていて、意図的にそうしているわけじゃないと思いますが、結局管理者側加勢者多数でほぼ管理者側の思い通りという場面はここだけじゃなくwikipediaの方でもいくらか遭遇しました。英語版はやはり以心伝心文化の日本と違って話してもわからない人がいる前提に立ちつつwordsmithingのようにwiki造語を一般項目としてきちっと定義しつつも重要な規則などの解釈を厳格にしています。僕はそのような運営をwiktionaryでも是非やってもらいたいのですが(「誰もが編集可能なプロジェクト」に拘るのはそういう理由です)、今回の「テンプレート:WiktionaryPage」導入による「ウィクショナリーへの自己言及」の制限は、それを逆に制限するものになっております。つまり、今までのように話が平行線になるのか意図的にもっていっているのかそういう状況になれば、あとはこのページを見ている人の多数決、その言葉の定義なんて知らんよ、俺はこう思ってるし、賛成してる人もそうだと思うよ程度の正当性で事実上フリーハンドを与えるようなもので、それに疑義を挟もうとしても「ウィクショナリーへの自己言及」の制限という別目的の形式的な制限の拡大適用をもって正当性を争うすらいたずらに忌避されてしまいます。僕がMtodoさんに対して「辞書的な」という辞書とはどのようなものか、Mtodoさんの辞書の定義が一般性をもつのかどうかwiktionaryもしくはwikipediaの辞書の項目に裏付けるだけの十分な記述を追加編集して、一般的解釈として他の方からの編集研鑽に耐えた上で改めて辞書の本質を論じてくださいと要望していますが、これが採用されれば多分wiktionary編集方針に関して辞書の本質を上記に追加編集すれば「ウィクショナリーへの自己言及」になるためできませんし、してはいけませんとくるんだと思います。そうなったら思想が違う編集者は、将来編集者もしくはすでに編集に片足を突っ込んでる多くの一般利用者がほとんど目を通すことのない空間での多数決によって管理者側のいいようにバンバン排除されることになると思われますがそれでいいのでしょうか?wikiプロジェクトが閉鎖的だと言われる所以はそんなところにあると思われるのですが。 --219.211.122.141 2013年3月14日 (木) 03:30 (UTC)[返信]

 結果的に、読み辛く、議論になりそうもありませんね。問題点が、??です。 
>「バンバン排除」  ……したら、結果的にいびつな辞書になるでしょう。利用価値もないでしょう。

匿名IP 様のご意見ももっともだと思いますが。

それでも紙から飛翔した辞書はもっと有用になるでしょう。それでも地球は回っている。 のですから、……。 利用できる情報データが、フリーライセンスで、たまっていくのがまず必要なのかも、と思います。カタカナ外来ゴ (トーク) 2013年3月14日 (木) 05:11 (UTC)[返信]


バンバン排除とは人の排除のことで、記事をバンバン削除することではありませんよw 意に沿わない編集をする人を排除するから、閉鎖的だねってことになって気軽に入ってくる人が少なくなり、記事数が増えないわけです。

  1. 今回は、凡例などを一般的な記事と分ける提案がなされています。
  2. 凡例などを一般的な記事と分ける提案と同時に「ウィキショナリーへの自己言及」を制限する草案も出されています。
  3. 「ウィキショナリーへの自己言及」の制限草案は、凡例などを一般的な記事と分けるためのルールという名目で、提案されています。
  4. しかし、もっと根本的な問題として、合意形成するルールや編集のあり方に対して何がwiktionaryとして正当たりうるかをwiktionary自体に求めることをも制限してしまう形にもなっています。
  5. その規制草案の拡大運用、これを既成事実化することでの乱用への懸念から反対を表明しているわけです。
  6. 加えて紙の辞書のような物理的制約を受けないものに対して、紙の辞書のように凡例を殊更別枠で一般記事と離してしまう意義も薄れていると考えます。
  7. ネット記事ならばそれはリンキングの問題であって、一般記事と離すか離さないかはさほど問題ではないと思ってる次第です。

以上かいつまんで要点をまとめてみました。--219.211.122.141 2013年3月15日 (金) 01:48 (UTC)[返信]

拠り所となる方針等の文書が探しづらいといった問題はあるにせよ、リンクを活用すれば良いのです。
といいますか、「ウィクショナリーへの自己言及」は精々辞書項目内で「ウィクショナリーでは云々」を避けるとか、議論などはノートページで完結させるといった事を述べているだけであり、「閉鎖的」であるとか活発でないといった問題は別の事でしょう。草案に対して要らぬ懸念を持たれているという印象です。
なお、私見としてですが、成る可くなら「語義の変遷に影響を与え」るべきではないと考えております。--kahusi (會話) 2013年3月15日 (金) 09:17 (UTC)[返信]
この懸念が要らぬものであるのかそうでないのかは人それぞれの立場や認識によって違うのでしょう。現に懸念を持つ者がそれを議論の中で主張しているのなら、提案者は、例えば「合意形成するルールや編集のあり方に対して、何がwiktionaryとして正当たりうるかをwiktionary自体に求めることをも制限するものではありません」などその懸念を払拭するような配慮を草案内に反映させるべきでしょう。
「議論などはノートページで完結させる」としても、その議論の中で交わされる重要な用語の解釈はその用語の一般的な解釈の範囲内に限定されるべきであって、一般的な解釈を逸脱したWikipedia若しくはWiktionaryコミュニティー独自の捉え方を拠り所として拡大解釈されるべきではないと考えます。もし重要な用語に関して見解の相違があるのであれば、同じプロジェクト内の一般記事内に書かれた解釈を拠り所にすべきであります。その解釈に疑義があるのであれば、その記事のノートページ内などで議論を交わしながらその用語記事の表現を改訂し、一般的な記述として適正か編集研鑽に耐えた上で、改めてその解釈を基にして議論をすべきでしょう。そうでなければ、元々の解釈がまったく違うわけですから議論は永遠と平行線を辿ることになり建設的な議論になりません。
今回の草案は、そのような提案をも「議論などはノートページで完結させる」べきで一般用語記事の表現解釈で争うものではない、第一「ウィクショナリーへの自己言及」になりできないという抗弁にされてしまいます。今回の提案者自体も、過去のコメントを見ると編集方針をめぐり、議論をする上で重要な用語(「辞書」とは何であって何でないのか)に対して、辞典的Wiktionaryの記事はもちろん事典的Wikipediaの記事の表現よりも踏み込んだ解釈をその重要用語の「本質」として語り、議論が平行線を築いていました(参照)。そのような方が提案した草案ですので殊更懸念を申し上げているということです。
拠り所となる方針等の文書が探しづらいといった問題はあるにせよ、リンクを活用すれば良いのであれば、一般利用者にもっとわかりやすいように早急に改変してほしいものです。

--219.211.122.141 2013年3月16日 (土) 14:45 (UTC)[返信]

  コメント(字下げを戻します)

最初は、Wikipedia(ja)より項目不足と引き換えに、穏健でアットホームな運営・管理をしてきた現行自治管理首脳陣が、(いかなる善意、誠意・現実からとは言え)Wiktionary流無風決済を目指し、
一方では、実力があり博識では有るにしても、明白にアンチテーゼを持つ219.211.122.141氏が難解な反対論を唱えて、Wikipedia(ja)でも観られるような、難儀な哲学論争に成って仕舞うのか? 
と懸念しましたが。管理者以外の意見が書き込まれ、議論が盛り上がる過程で、219.211.122.141さんからも、具体的提案も出てほっとしました。 わたしは、自己言及を区別し、有る程度名前空間を分離すること自体には反対では有りません。 ただ、最初(穏健な管理姿勢と、日頃の苦労に尊敬を感じている)Mtodoさんから、(多分即決可能の処置の為でしょう)難解なガイドライン提案が出て、しかも、一週間反対意見が無ければ正式ガイドライン化すると書き込まれて、本当にびっくりしました。誠実で、労を惜しまないMtodoさんの言葉とも思えませんでした。 自己言及禁止を厳密化しすぎると、219.211.122.141さんの意見を待たず、辞書項目の名前空間からの引用でも、即時削除のリスクを負うなど、この自己言及禁止のガイドラインがこのまま正式決定されると、Wikipedia(ja)などでも散見するような、議論以前の感情的編集合戦は懸念を感じていました。 今迄、Mtodoさんはご多忙にもめげず、わたしの立項を即時削除した際も、説明を省かず、軋轢に対して注意深い対応をしておられるのが伝わってくる対応でした。(自分が管理者であったなら、なかなか出来ないかも知れません。) ※此処は、議論のぺージなので自己言及します:トーク:役#編集要約の不備と、役関連項目の問題について(役・ヤク・やくの関係についての趣旨説明と議論を含む)に、一例が有ります※

  • ようやく具体例が出たので、わたしから提案があります。
    219.211.122.141さんの指摘、

>1.今回は、凡例などを一般的な記事と分ける提案がなされています。
>2.凡例などを一般的な記事と分ける提案と同時に「ウィキショナリーへの自己言及」を制限する草案も出されています。
>3.「ウィキショナリーへの自己言及」の制限草案は、凡例などを一般的な記事と分けるためのルールという名目で、提案されています。
>4.しかし、もっと根本的な問題として、合意形成するルールや編集のあり方に対して何がwiktionaryとして正当たりうるかをWiktionary自体に求めることをも制限してしまう形にもなっています。
>5.その規制草案の拡大運用、これを既成事実化することでの乱用への懸念から反対を表明しているわけです。
>6.加えて紙の辞書のような物理的制約を受けないものに対して、紙の辞書のように凡例を殊更別枠で一般記事と離してしまう意義も薄れていると考えます。
までは、自己言及のガイドライン案を如何に書き換えても解決できない哲学的・綱領に近いものを含んでいると思いますが、
>7.ネット記事ならばそれはリンキングの問題であって、一般記事と離すか離さないかはさほど問題ではないと思ってる次第です。
は、(悪くすれば骨抜きになるが)Wiktionary・トーク:ウィクショナリーへの自己言及で、議論し、ガイドラインの内容を変更し、場合に拠っては、サイドメニューの変更も行うことで、解決の道が開かれる可能性があり、『こちらで書き込むな』とは言わないが、Wiktionary・トーク:ウィクショナリーへの自己言及で、議論を深め、ガイドラインをもう少し解り易くして、より良いものに変えませんか?
Wiktionary(日本語版)は、Wikipedia(日本語版)と打って変わって、如何に項目数は少ないとは言え、少数の管理人さんが、日日の管理・運営と、自治の両立に悲鳴を上げておられる現実は痛み入ります。ただ、わたしたちは、ウィキペディアンではなく、ここでは、ウィクショナリアンです。 また、博識な219.211.122.141さんはご存知とは思いますが、WikiMediaにある日本語版ウィクショナリーの整備に書いて有りますが、指針・ガイドライン無き民主主義は混乱を招き、かなり項目数が増えていたのに、Wiktinary日本語版は、一旦閉鎖の憂き目を観たと言うのは、わたしは知らなかったこととは言え、頂門の一針と思っています。
Wiktionary(日本版)の自治として、良い、解り易くて、自由度のある、ガイドラインを作りたいと思います。
自己言及ガイドライン賛成意見の方にも、kahusiさんの様に、リンクを補綴し誘導するべきだと言う意見をつけた人が居ます。わたしも、場合に拠っては、自己言及ガイドラインそのもの継続改訂審議とした上で、最初の妥協案をこしらえ、(少しぐらい骨抜きでも)テンプレートを使えるようする事は、大いに考えたいと思います。--みぃにゃん (トーク) 2013年3月17日 (日) 11:29 (UTC)[返信]
(気持の面を考えての補遺):-Ninomy さん。whym さんなどの、長老的管理・自治委員(ビューロクラットなどまで含む広い意味での役員?委員さん)さんが、 219.211.122.141さんはいざ知らず、私のような、駆け出しの浅学非才な編集者に対しても、立場をわきまえ、有益な提案、書き込みを評価し、適切な言行をされていることを此処に明示的に称えたい、褒めたいと思います。
それ故に、Wiktinary(日本語版)は、『Wikipedia(日本語版)の様な、一部とは言え、アンチテーゼを唱える反対派からの批判にさらされるようなこと』も無く、かなり充実してきています。219.211.122.141さんは、違う意見を持った誠実で有能・有益なウィクショナリアンであり、この方は勿論、わたくしも、今後とも活躍できるWiktionary(日本語版)である様に、願って止みません。--みぃにゃん (トーク) 2013年3月17日 (日) 11:51 (UTC)[返信]

(編集競合しましたがその侭投稿)
「何がwiktionaryとして正当たりうるかを」云々と書くなら書いても良いんですが、そもそも「トークページでの議論や、Wiktionary名前空間、ヘルプ名前空間の文書ではまったく問題ありませんが、記事の中では不適切です」といふ風に書いてあります。「ウィクショナリーは何でないか」に類する話には全く触れてないのでして、IP氏が云っている解釈は誤りでしかないのであります。
「同じプロジェクト内の一般記事内に書かれた解釈を拠り所にすべきであります」云々に就いて。現在もそうですが、「辞書とは何か」という事が文書化されていないが為に、あの様に解説する事になつたのであり、しょうがない部分はあります。「ウィクショナリーは何でないか」も草案のままですし。あと、「そのような方」つまりMtodo氏の語釈をのみ論ってあげつらって相手方の論を採り上げないのも不公平かと。
リンクの件にも絡むのですが、「WiktionaryPage」とリンク先の文書を整備すればユーザ間で方針の共有出来るでしょう。ただ遣る人がなかなか居ない侭なのが一番の問題ではあります。「整備されない」←→「人が来ない」……といった「鶏と卵」状態です。--kahusi (會話) 2013年3月17日 (日) 11:49 (UTC)[返信]
※お許し下さい※あげつらっては、検索でもそう簡単に出ません。大辞泉にも有りませんでした。確かに辞書編集人制作者の議論なので、難解な語彙が出ても調べられて当たり前ともいえますが、ご配慮下さい。お願いします。※上の議論でも読めないので、辞書や、検索をした語彙が幾つか在りました※振り仮名添付大変失礼とは思いますが…ご寛恕下さい。ごめんなさい。--みぃにゃん (トーク) 2013年3月17日 (日) 12:03 (UTC)[返信]


>みぃにゃんさん
すみません。僕、馴れ合いと褒め殺しが一番弱いのでそういうのは止めていただきたいです・・・まあアンチテーゼを唱える反対派と捉えてもらって構いません。昔Wikipediaの編集方針にも同じIPで首突っ込んでますし。(ミートパペットなどとの兼ね合いでIP者の処遇の問題に際して。)
>自己言及ガイドラインそのもの継続改訂審議とした上で、最初の妥協案をこしらえ
いえ、私はあくまで廃案を提案します。少なくとも自己言及ガイドラインなど「自己言及」に関するルールを定める限りはその主張は変わりません。規定事実化後の拡大解釈が危ぶまれます。
凡例などを一般的な記事と分ける事に主眼が置かれているなら、少なくとも今回は、それに限ったガイドラインに限定してルールを作成すべきです。
わざわざ自己参照云々の話に一般化して規制すべきでない事例だと思います。その意味で官僚が書いた霞ヶ関文学のような毒饅頭のきな臭い臭いを察知してここでこれだけの抗弁を行っているわけです。ルールの合意形成をされた後に本来の目的(凡例などを一般的な記事と分ける事)を逸脱した拡大解釈によって管理人の権限強化に繋がってしまうのを非常に危惧しております。ただでさえWikipediaのプロジェクト上の合意は、今編集を行っている全編集者の過半数以上の合意ですらなく、偶々その場にいて興味を持っていた人だけの有権者による投票によってプロジェクト全体として合意形成されたと見做されるような歪な意思決定システムを採用しているわけでして、管理者とプロジェクトを熟知した既存の編集者の馴れ合いによってどんどん管理のしやすいように規制が行きがちです。そこに自制を促す意味でもウィキショナリーへの自己言及はどうしても必要だと考えます。英語版も他のどの辞書にも載ってないような造語の記事を作ってまでキチっとぶれない定義づけを自己参照によって行っている部分も見受けられます。以心伝心、話せばわかる、その場の空気を読む日本人コミュニティはとかくこのような部分を曖昧にして玉虫色の折衷案妥協案を求めがちですが、上記のような歪な意思決定システムの中ではどうしても周辺の者、新参者に厳しいシステムになりがちで、それがWikiプロジェクトの閉鎖性につながっているんだと思います。この点求められるべき拠り所を明確にしていくためにもウィキショナリーへの自己言及自体は必要なツールであると考えております。そのため尚更そのウィキショナリーへの自己言及自体を対象とした規制はどんな形であれ容認できないものであるわけです。
>kahusiさん
>そもそも「トークページでの議論や、Wiktionary名前空間、ヘルプ名前空間の文書ではまったく問題ありませんが、記事の中では不適切です」といふ風に書いてあります。「ウィクショナリーは何でないか」に類する話には全く触れてないのでして、IP氏が云っている解釈は誤りでしかないのであります。
具体的にどういう誤りをしていると捉えていらっしゃるのでしょうか?お聞かせ下さい。
今回の提案を額面通りに取ればそうなのかもしれませんが、一旦合意形成した後の規制権者側の拡大解釈の虞れが非常に危ぶまれるからここまでの抗弁をしているわけです。(その意味で毒饅頭といっているわけです。)
>「同じプロジェクト内の一般記事内に書かれた解釈を拠り所にすべきであります」云々に就いて。現在もそうですが、「辞書とは何か」という事が文書化されていないが為に、あの様に解説する事になつたのであり、しょうがない部分はあります。「ウィクショナリーは何でないか」も草案のままですし。
しょうがない部分がある草案であるならば、それによって現在は各編集者の編集方針が縛られるわけではないということを意味しているのでしょうか?ならばそれは管理者側が自分独自の編集方針を振りかざしフリーハンドで管理できることを示しているのではなく、管理者や他の編集者と編集方針が異なっていたとしても、それによって規制やペナルティを食らうことなく自由に編集者が編集できるということを意味します。Mtodo氏の編集方針をめぐる過去の書き込みなどを見させてもらってますが、多分僕の考え方や思想とは相容れないでしょう。彼の語る辞書の本質論はウィクショナリーとしては僕は受け入れられなかったです。あえて論を取り上げれば余計な軋轢を生むだけでこの議論に関係ないですからね。ウィキショナリーとしての辞書とは何であるか、ガイドラインとして議論をする場を設けてくれるなら喜んでそちらで取り上げさせてもらいます。
規制に関しても、僕は根っからのニヒリスト(虚無主義者といった方がいいかも)なので、他の人が思ってる混乱が、何を持って混乱といってるのか理解できない部分もあります。(一旦閉鎖もリアルタイムで騒動は見てませんがただの過剰反応に見えます。そんなことで閉鎖してるから記事増えないんですよwって思います。それもこれもガイドラインが公正命題できちっと作られてないからじゃないのと)。
>「整備されない」←→「人が来ない」……といった「鶏と卵」状態です。
人が来ないのは、Wikiプロジェクトが「人が来ない」運営体制を敷いているからであって、決して鶏と卵ではありません。誰もが比較的自由に編集できるに釣られてきた人が深くコミットする前に、現実を知り離れていくか規制されて離れるかどちらかです。何が草案で何が決定事項かもわかりずらいしどこでどのように意思決定されるのかも掴みにくい。管理人は各々独自の倫理観で強権を振るう。英語版の方針で謳うように多少目をつぶって自由にやらせながら人を入れていかないと「整備されない」←→「この体制に順応できた人しかいない」のループは抜け出せません。

--219.211.122.141 2013年3月18日 (月) 07:13 (UTC)[返信]

先ず英語版の状況を確認する
  • en:wordsmithingのページには「wiktionaryでは云々」といった文言などは全くない
    • 例えばen:ikに於いては掲載基準に満たないので掲載しない旨のお知らせはあるが、記事内容のお知らせは日本語版Wikipediaでも削除審議中を始めよく利用されており、この類まで掲載を認めないという訣でもない
    • ところで紙の辞書は検索されているのか。それこそ何巻にも亙る大きさの辞書でないと収録されていない様な語彙だとウェブ上にある辞書では出てこない事はあり得る。尤もwordsmithingがそうであるとは言わないが、そういう語彙も有り得る事はご承知願いたい。
  • WiktionaryPageに相当するen:Template:selfrefというテンプレートが機能している
以上より英語版の状況を理由に、通常の項目でWiktionaryに限った用法を記載する理由にはならない。
「誰もが編集できる」という事が即「誰もが編集する」事ではないのであり、Wiktionaryの利用者は編集者と閲覧者に分れる。後者にとってはWiktionaryの編集方針や独特の用法はノイズでしかない。
ウィクショナリーへの自己言及の文言を推敲するのは良いとして、Wiktionaryに限った用法を掲載可能とする事には反対する。「拡大解釈」など行えない様な文章をこしらえて戴ければ良いが、寧ろ何んな文章でも拡大解釈可能なのではないかという懸念もある。
またスラングに就てだが、英語版は既に50万近い項目があり、最早スラングをも許容可能なレベル。翻って日本語版は9万と少しであり、まだ一般的な語彙の強化を要する。今スラングを許容したならば、スラングばかりが増加する虞がある。プロジェクトとしてのWiktionaryはスラングを許容しない訣では無いが、スラング辞典のみである訣では無い。
Wikiという仕組みは原理的に放逸を阻止出来ないものなのだが、放逸を許す訣にはいかず、已む無く閉鎖するに至ったと理解している。--kahusi (會話) 2013年3月18日 (月) 10:55 (UTC)[返信]
>en:wordsmithingのページには「wiktionaryでは云々」といった文言などは全くない
全くないが、そこに載せられた名詞の意味はほぼWiktionaryの上のwordsmithingを解釈するための意味です。wordsmithingが載っている他の辞書でもwordsmithの現在分詞という記述ぐらいが関の山です。つまりwiktionary内の独自語彙に関してwikitonaryではという注記を挟まずに一般語彙として載せていますkahusiさんが考えているよりも事実上進んだ編集も許容しているということです。
>ところで紙の辞書は検索されているのか。それこそ何巻にも亙る大きさの辞書でないと収録されていない様な語彙だとウェブ上にある辞書では出てこない事はあり得る。尤もwordsmithingがそうであるとは言わないが、そういう語彙も有り得る事はご承知願いたい。
もう何年も紙の辞書は開いていません。手元にもってるものは引くのも煩雑で語彙も少なく新しくもない、串刺し検索もできない。確かに図書館や大学にあるような何巻にも亙る大きさの辞書と比べればオンライン辞書は語彙が少ないかもしれませんが一般的な語を調べるのには事足りませんし、常時更新されるわけですから紙の辞書にまだ載せられてないものも調べることができます。wordsmithingは他のところでwiktionary引用が一番前に来るほどですからまだ比較的新しい単語であり紙の辞書に載っているとは思えません。載っていたとしても現在分詞という記述のみだと思われます。wordsmithing is not a wordという批判記事が出るくらいですから権威的に一般化した用法だとは思えず、紙の辞書の編纂からは外れるでしょう。
>WiktionaryPageに相当するen:Template:selfrefというテンプレートが機能している。
テンプレートが普及するかどうかテンプレートのみを試行的に導入してみるのはいいかもしれませんが、それに伴うルールの方が問題でありルールありきのテンプレート導入には反対です。
>「誰もが編集できる」という事が即「誰もが編集する」事ではないのであり、Wiktionaryの利用者は編集者と閲覧者に分れる。後者にとってはWiktionaryの編集方針や独特の用法はノイズでしかない。
「誰もが編集できる」という事が即「誰もが編集する」事ではありませんが、将来的に編集をするかもしれない利用者に対して閲覧者として対応を分けるべきではありません。「誰もが編集できる」とは閲覧、検索、編集、管理などそれぞれの利用のフェーズに合わせていつでも門戸を開いているという宣言であると考えます。少なくとも現在編集してない人が今からでも編集できるような環境(ルールを含め)を用意したいという崇高な理想を掲げていると私は捉えています。閲覧者にとって編集方針や独特の用法は、今はノイズに映るかもしれませんが、将来的に自分達のプロジェクトにインボルブしたい、巻き込んでいきたいのであれば、その煩雑さは戦略的に許容させるべきです。もし現在の住人だけのインナーサークルで回したい、なるべく部外者の目につかせたくないのならば、これからも人は増えないでしょうし「誰もが編集できる」環境とは別のものになります。


>ウィクショナリーへの自己言及の文言を推敲するのは良いとして、Wiktionaryに限った用法を掲載可能とする事には反対する。「拡大解釈」など行えない様な文章を拵(こしら)えて戴ければ良いが、寧ろ何んな文章でも拡大解釈可能なのではないかという懸念もある。
それには表題として「自己言及」という文言を削ることを提案します。そこまで汎用な規制運用でなく、例えば「ウィクショナリー内の独自用法・語法」という括りで、とりあえずはテンプレートのような書き方もできます、またはテンプレートのような書き方を奨励します、として様子を見た方がいいのではありませんか?
>またスラングに就てだが、英語版は既に50万近い項目があり、最早スラングをも許容可能レベル。翻って日本語版は9万と少しであり、まだ一般的な語彙の強化を要する。今スラングを許容したならば、スラングばかりが増加する虞がある。プロジェクトとしてのWiktionaryはスラングを許容しない訣では無いが、スラング辞典のみである訣では無い。
それは私と認識が違います。ネット辞典は常に発展途上でなければならないと考えます。その過程の中で一時的にスラング辞典とささやかれるような状態になったとしても紙として出版された辞書とは違いますので、その他の分類のものを徐々に補充していけば済む話であって、わざわざ削除したり閉鎖したりするのは過剰反応に映ります。スラングでいっぱいになった歪な辞典を見て、見るに見かねて一般語彙の補充に乗り出す"閲覧者"がいるかもしれません。実のところこの頃僕がここに参加するようになったのは、ヤフー記事にペーソスという語が載っており、それを検索する過程でWikipediaの曖昧さ回避のページを閲覧し、ペーソス、パドス共々yahoo辞書に丸投げwという編集がなされていたのを見るに見かねて久々に参加してみたのがきっかけです。十分でない歪な辞書が編集可能なら、そこに補充したい欲求をわかせることは往々にしてあると思われます。これは語彙数の少ない整ったネット辞典ではあまり起きない衝動欲求です。ネット辞典は語数の偏りが物理的に見えるわけではありません。スラングばかりになったのに閉鎖一括削除という管理手法をとったのは戦略上どうだったのでしょうかね。僕的には一般語彙拡充、編集者拡充のチャンスを潰したようにも見えますが。例えばアラビア語を勉強してる人がアラビア語関連の語彙をいきなり9万語増やしたら、日本語の語彙も拡充してないからといって一時閉鎖削除するのでしょうかね。

--219.211.122.141 2013年3月19日 (火) 22:11 (UTC)[返信]

ウィクショナリーの目指すものに英英辞典は含まれませんか? 編集

表題のもとで特別:投稿記録/219.211.122.141さんによりWiktionary・トーク:メインページ/編集可能版で提起された議論を、同意を得て下記に転記します。 --whym (トーク) 2013年3月14日 (木) 11:27 (UTC)[返信]

>最終的には国語辞典、漢和辞典、英和辞典、独和辞典、類語辞典などを網羅した多言語の多機能辞典を目指しています。

とありますが、日本語版といえども英英辞典や独独辞典などの要素は取り入れてはいけないのでしょうか?英単語に対して日本語で意味を説明するだけでなく、英語で意味を説明された文章を併記することは、英語学習者のためになると思います。但し今のところそのようなスタイルの英和辞典は見たことがありませんが誰でも編集可能で紙のような制約のない辞書なら併記しても問題ないと思います。--219.211.122.141 2013年3月10日 (日) 05:38 (UTC)[返信]

このノートページはウィクショナリーの現状をメインページでどのように解説するかについてを議論するためにあるので、表現ではなく現状そのものに異議がある場合はWiktionary:編集室でご提案(「話題追加」)ください。そのほうが興味のある人が見る可能性も高くなると思います。その上でコメントしますと、英英辞典はウィクショナリー英語版の一部に、独独辞典はドイツ語版の一部に、すでにあります。まず前提として、労力の有効活用のため、重複した作業は避けるべきと私は思います。ご提案にしたがいますと、姉妹プロジェクト内の別の場所で同じコンテンツを並行して執筆したりメンテナンスしたりすることになってしまいます。英英辞典は英語版、独独辞典はドイツ語版がすでに充実していますので、そちらで閲覧・編集してくださるといいのではないでしょうか。
ウィクショナリー日本語版としては、言語間リンク(サイドバーの下部にある言語名のリスト)等を通してそれらを紹介し、興味のある人がすぐにあちらのページを見られるようにしておけば十分ではないかと思います。言語間リンクはすでに多くのページにありますが、それに加えて、ウィクショナリー日本語版上の英語単語の項目から英語版への言語間リンクがある場合に、それを強調表示するようにすることなどは検討してもよいかもしれません。よい方法がすぐには思いつきませんが、近い機能を果たすものとしてウィクショナリー英語版のガジェットのひとつである Gadget-WiktAddProminentInterwiki.js があります(英語版で使えるアカウントをお持ちでしたら個人設定で選択すると使えます)。 --whym (トーク) 2013年3月12日 (火) 12:49 (UTC)[返信]

>このノートページはウィクショナリーの現状をメインページでどのように解説するかについてを議論するためにあるので、表現ではなく現状そのものに異議がある場合はWiktionary:編集室でご提案(「話題追加」)ください。そのほうが興味のある人が見る可能性も高くなると思います。

ご指摘ありがとうございます。このまま移転したいのですが、whymさんのコメントもそのままコピペしていいのでしょうか?初心者でやり方がわからなくすみません。


>労力の有効活用のため、重複した作業は避けるべきと私は思います。ご提案にしたがいますと、姉妹プロジェクト内の別の場所で同じコンテンツを並行して執筆したりメンテナンスしたりすることになってしまいます。英英辞典は英語版、独独辞典はドイツ語版がすでに充実していますので、そちらで閲覧・編集してくださるといいのではないでしょうか。

英語学習者のすべてが英文を読めるわけではありません。例え親切にリンクを目立たせても英語学習者のレベルによっては役に立たない事がありますし、英語の語義の分類が日本語の語義の分類と異なることもあります(対訳語そのものの語義の違いにより)。英語学習者のどれだけが英語の分類の対訳語/文章と日本語対訳語の関連性を十分理解することができるでしょうかね。

英語で意味を説明された文章を併記することと、英英辞典の情報を付加することは根本的に違います。要は英英和辞典の要素を取り入れませんかということを提案しています。言葉足らずですみません。

削除依頼が出されていますがw一応こんな感じというものは作ってみました。 --219.211.122.141 2013年3月14日 (木) 04:07 (UTC)[返信]

英語を英語の基本語彙で学習者向けに説明する語釈文を念頭におかれているのでしょうか。シンプルイングリッシュ版ウィクショナリーおよびそこ(simple:effectiveなど)への言語間リンクではカバーできないでしょうか --whym (トーク) 2013年3月14日 (木) 11:38 (UTC)[返信]

whymさんお手数おかけしました。

語釈文や英語での言い換えですよね。その単語の意味をどう区分して羅列するかにもよりますが日本語の対訳と同時にそのようなものを併記する学習的意義は大きいと思います。

これは英語版、もしくは簡易英語版へのリンクだけでは補えないものです。第一に英語学習者、特に日本の英語学習者の何人が対訳もない英語だけのサイトへの誘導に従うでしょうか?画面を見て全部英語?無理という人はかなりの数いると思われます。それは英語圏の初学者、学童向けであっても同じです。

加えて、どの日本語の対訳が、どの英語版の語釈文に対応しているのか十分わかる人が何人いるか疑問でもあります。

>Having the power to produce a required effect or effects.

と読んで、有効な、効率的なと頭でピンときますかね?


有効な、効率的なに併記して

>Having the power to produce a required effect or effects.

とあれば、ああそういう意味で「有効な」って意味なのがeffectiveなんだね

と、単なる逐語訳の対訳だけではない違った発見ができると思います。


特にsimple:effectiveの説明は向こうの人には安易なのかもしれませんが、情報量が足りなく日本の英語初級学習者に勧めても混乱しそうです(cobuildぐらいの情報量と的確さがほしいです)。逆に正規版の方がいいように思います(普通の英英の書き方です。)

--219.211.122.141 2013年3月15日 (金) 02:20 (UTC)[返信]


上記effective記事の削除依頼において、Mtodo氏から「「日本語以外による定義の不要性、不適当性」は本ウィクショナリーが日本語版ウィクショナリーであることからの本質的な帰結であると考えております」とコメントを頂きました。

本ウィクショナリーが日本語版ウィクショナリーであることからの本質的な帰結として、日本語以外による定義は不要、不適当であるという趣旨のルール又は合意形成がすでになされているのでしょうか?もしそうならば、この提案はその趣旨に反することになりますが、どなたかご存知の方いらっしゃいませんか? --219.211.122.141 2013年3月16日 (土) 14:52 (UTC)[返信]

(話題とはそれますが、階段状の構造がないと発言の対応関係が分かりにくいので、半角で行頭に「:」をいくつかつけるなどして字下げしてくださるようお願いします) --whym (トーク) 2013年3月30日 (土) 04:13 (UTC)[返信]
ルールとしては禁止も許容もされていないと思いますので、提案のメリット・デメリットから考えるとよいかと思います。学習者用英英辞典や英英和辞典の有用性はわかりますが、日本語版ウィクショナリーの多言語を対象言語とする辞典としてのスコープと実態を鑑みると、取り入れるのはむずかしい気がしています。具体的には以下のような懸念点が私には思いつきます。
  1. 学習者用単一言語辞典であれば対象読者の習熟度を想定し、それに合った語釈文を用意することが多いかと思います。特に対象読者をさだめずにまちまちの語彙で記述していった場合、どこまで有用なものになるか疑問です。少なくとも現時点では特定のレベルの学習者を対象にしているわけではない日本語版ウィクショナリーでは、どのような語彙で語釈文を構成すべきでしょうか。
  2. 日本語版ウィクショナリーは何人ものボランティアが共同作業でつくる多言語辞典であり、参加者の主要な共通点のひとつは日本語の読解・執筆能力があることです。日本語版の実態としても、他の言語版3,314,043 entries with English definitions from over 500 languages をうたう英語版2 336 695 articles décrivent en français les mots de plus de 2 800 languesをうたうフランス語版など)との一貫性を考えても、日本語版ウィクショナリーでは語釈文のうち少なくとも主要な部分が日本語で書かれるべきことにはおそらく異論の余地がないでしょう。そのうえで、日本語での語釈文に加えて日本語以外の言語での語釈文を掲載してもよいかどうかについてですが、これを一般に認めてしまうと共同作業によるメンテナンスが困難になるおそれがあると私は思っています。[1]のように英語を英語で説明するのを許容したとして、たとえばナバホ語の単語に関して同様にナバホ語で書かれた語釈文を投稿することも許容すべきでしょうか。許容した場合に、投稿内容にいたずら含まれていないかどうかのチェック等が、許容しなかった場合と比べて困難になるおそれはないでしょうか。日本語で書かれた説明であれば、対象言語を知らない人でもそれが分かりにくいかどうかや曖昧かどうかの論評ならばできますが、日本語以外で書かれている説明については、それすらできないことが多くなるのではないでしょうか。
  3. 以上のように、許容できないものや扱いに困るものなどの線引き、および語彙の選定などについて、日本語だけで語釈文を記述しているときとは異なる基準が必要となることが考えられます。英語で語釈文を書く、ドイツ語で語釈文を書く、といった試みは日本語版ウィクショナリーでは私が知るかぎり過去に例がないため、拠り所になる慣例もありません。少なくとも基準なしに無秩序に掲載をすすめてしまうことには、前述の有用性とメンテナンス性の点で疑問があります。 --whym (トーク) 2013年3月30日 (土) 04:13 (UTC)[返信]


>(話題とはそれますが、階段状の構造がないと発言の対応関係が分かりにくいので、半角で行頭に「:」をいくつかつけるなどして字下げしてくださるようお願いします)
すみません、インテンド下げの階段状に慣れてないというか自分的には読みにくいのでこの形で投稿させてもらってます。何個も返信してるうちに無駄に構造が深くなってるのに長文だったりありえますので。一応どの発言に対応してるかは示しているつもりです。
>ルールとしては禁止も許容もされていないと思います
ありがとうございます。とりあえず現状のルール状況を確認できました。
>日本語版ウィクショナリーの多言語を対象言語とする辞典としてのスコープと実態を鑑みると
辞書としてのスコープと実態とは具体的にどういうものでしょうか?ちょっと掴めませんでした。スコープはコンピュータ言語の参照範囲のような意味でいいのでしょうか?
>学習者用単一言語辞典
すみません。そこまで英英で違った括りの辞書として使われているとは正直知りませんでした。説明を読むと(外語)学習者用単一言語辞典ということですよね。
>対象読者の習熟度を想定し、それに合った語釈文を用意することが多いかと思います。
英語はそういうのが多いですよね、でも現にwiktionaryなどはどうでしょうか?wiktionaryに使用漢字の制限やふりがな記載を必出とした小学生版などがないように一般的な語釈文や言い換え語彙を列挙すればいいのではないでしょうか?特に日本の教育では公教育は第二言語は早くて英語を小5から(しかもやっと導入)遅ければ高校、大学からというのが一般的でそういうレベル別の辞書は今まで必要なかったのかビギナーズ用の辞書くらいしか書き方を変えているのを見たことがありません。対象読者の習熟度を想定し、それに合った語釈文を用意することは日本の教育事情ではほとんどビギナー版のような簡易辞書にしか見受けられないのではないでしょうか?
Wikipediaに準じれば、少なくともwiktionaryの中ではレベル分けはなされるべきではない、一般的な叙述を目指すのがいいと思います。
>日本語版ウィクショナリーは何人ものボランティアが共同作業でつくる多言語辞典であり、参加者の主要な共通点のひとつは日本語の読解・執筆能力があることです。日本語版の実態としても、他の言語版(3,314,043 entries with English definitions from over 500 languages をうたう英語版、 2 336 695 articles decrivent en francais les mots de plus de 2 800 languesをうたうフランス語版など)との一貫性を考えても、日本語版ウィクショナリーでは語釈文のうち少なくとも主要な部分が日本語で書かれるべきことにはおそらく異論の余地がないでしょう。
結論部分は、まったく異論がありません。主要部分が日本語で書かれるべきというのには同意します。ただし主要部分でない多言語記載が主要部分の日本語よりも分量が多くなることをも否定することは留保します。
>主要な共通点のひとつは日本語の読解・執筆能力があることです。
これも厳密にいうとどうでしょうかね?これとかの編集者はどう考えても日本語できないと思いますよ。装飾、体裁など日本語以外の部分を担おうとする編集者もいますから一概に言えないと思います。
>これを一般に認めてしまうと共同作業によるメンテナンスが困難になるおそれがあると私は思っています。[1]のように英語を英語で説明するのを許容したとして、たとえばナバホ語の単語に関して同様にナバホ語で書かれた語釈文を投稿することも許容すべきでしょうか。許容した場合に、投稿内容にいたずら含まれていないかどうかのチェック等が、許容しなかった場合と比べて困難になるおそれはないでしょうか。日本語で書かれた説明であれば、対象言語を知らない人でもそれが分かりにくいかどうかや曖昧かどうかの論評ならばできますが、日本語以外で書かれている説明については、それすらできないことが多くなるのではないでしょうか。
もちろんナバホ語の単語に関して同様にナバホ語で書かれた語釈文を投稿することも許容していいと思います。ナハホ語ができる人が少なく、間違っている部分があるとしても将来的に誰かがより良いものに直すことができるのがこういうプロジェクトの良さであり、いたずらが含まれていないかなどはじめから無謬性に拘りすぎて警戒しすぎるのもプロジェクトの趣旨と違ってくるのではないかなあと私は考えます。実際にナバホ語に間違った対訳が放置される危険性とナバホ語の間違った語釈文、言い換え語が放置される危険性はそれほど違わないのでないでしょうか?編集者以外今のところその言語でその語を調べようとする人が皆無に近い言語の単語群は特にそうだと思います。日本語だから間違いに気付けるかというのは微妙な問題で一見まともな語訳に見えてまったく違ったことが書いてあれば、少なくとも日本語ーナバホ語辞典を持ってる人で、その意味が辞書に載っている人でなければ気付けませんし、それが辞書用法以外として実際使われているかどうかまではわからないでしょう。
思うのですが、言い換え語に関していえば、関連語として語の列挙が認められているのならこんなふうに日本語訳の下に言い換え語などを列挙することは、日本語訳の下に関連語を列挙することと大差はないように思います。その括りを関連語や同意語、下位語とするのか、言い換えとするのかの違いであって、殊更言い換えだからといって「共同作業によるメンテナンスが困難になるおそれがある」とはならないでしょう。
参考例
  1. 実効的な、効力を発する、〈法律などが〉実施されている
    exerting force or influence; in effect; in force; operative
  1. 実効的な、効力を発する、〈法律などが〉実施されている
    関連語:exerting force or influence; in effect; in force; operative
さらにいえば、ナバホ語の単語に関して同様にナバホ語で書かれた語釈文を投稿することで、投稿内容にいたずら含まれていないかどうかのチェック等が、許容しなかった場合と比べて困難になるのであれば、関連語列挙にいたずらが含まれていないかチェックできない状態とも言えなくはないのでしょうか?そうしますと、関連語の列挙にも制限が加えられる方向性になってしまうと思うのですがこの点はいかがお考えでしょうか?--219.211.122.141 2013年4月3日 (水) 08:29 (UTC)[返信]
ちなみに、「例文の作成」には制限がかかってないのですよね?しかも前出の削除依頼の出されたeffectiveもそうですが、実際に英語表現として使われていたものを丸々写すと著作権上の問題が出てきます。そうなると、学校の先生がテスト問題などでよく創作してやってしまうような、文法的に間違っていないけど間違った文やネイティブから見たらどこかおかしな言い回しが、日本語の読解・執筆能力がある編集者の手によって乱立する危険性をはらんでると思うのですがこの点についてどうお考えでしょうか?この危険性は語釈文を許容したときの間違った表現の放置の危険性となんら変わらない気もするのですが。
もう一歩進めて聞いておきたいのですが、wikitionary記事内の項目要素についてなにかしら具体的なルールが取り決められているのでしょうか?「辞書として」「辞書とは」など辞書かくあるべき論に求めることは、それぞれ捉え方も考え方も違いますしwiktionaryとして具体的に示されていません。先日、僕の編集した記事に「アナグラム」という項目を追加していただいた方がいます。こういった項目は僕的には学習的な意義を見出せませんが、それぞれの考え方ですしあってもいいと思います。このように必筆事項とはいえない項目を設ける許容度はどの辺まで許されているのでしょうか?例えば僕でしたら多義基幹語に対するコアの意味やイメージの項目は学習者に必要と考えます(Eゲイトなどは編纂者にその提唱者が含まれているので編纂されています)が、既存の規範文法論に立脚した立場、学校英語関係者からは猛烈な反発が来ると思われます。多分荒れるのでコアは加筆しませんが、もう少し具体的なルールがあると助かります。 --219.211.122.141 2013年4月1日 (月) 05:40 (UTC)[返信]
例文に関しては、一般的な本や新聞、雑誌から一部分だけ抜き出して例文とすることは、英語版、フランス語版では完全に許容されています。日本語版ではもう少し慎重に、著作権の無い文章から抜き出すことを基本としているようです。いずれにしろ、出典の明記は必須です。また、他言語版に引用ではなく作成された例文があるなら、編集内容要約にコピー元を明記すればコピーは可能です。英語なら英語版に例文は十分あります。
説明に関しては、日本語版では日本語ですることになっているので、当然、目的に英英辞典は含まれません。英語版、フランス語版でもそれぞれ英語、フランス語で説明することになっています。ただし、母語話者が見過ごしていることを説明することは当然ありますし、良いことです。例えば英語版の it とフランス語版の it を比べると、後者のほうが詳しいです。
また、規範的か記述的かという点に関しては、辞書は記述的であるべきです。例えばちがうを見てください。形容詞としての活用も挙げ、それを間違いだと書くのではなく、俗語あるいは口語だと書くべきです。 — TAKASUGI Shinji () 2013年4月4日 (木) 10:25 (UTC)[返信]
TAKASUGI Shinjiさん、ご意見ご教授ありがとうございます。
>例文に関しては、一般的な本や新聞、雑誌から一部分だけ抜き出して例文とすることは、英語版、フランス語版では完全に許容されています。日本語版ではもう少し慎重に、著作権の無い文章から抜き出すことを基本としているようです
そうなんですね。この議論を提起したきっかけが前述effectiveの削除依頼からきているのですが、ニュースソースの中の一文などに対して、慣れない私の編集に出展明記の注意喚起ではなくいきなり削除依頼がなされたものでちょっと面食らってしまっていました。実際どういう運用がなされているのか、僕の思い描いている編集がwiktionaryとしてどこまで許容していただけるのか確認をしたくて書いている次第です。今のところgoogleでヒットするような文章表現の中で自分的に自然な言い回しと思うものを少し捩ったり改変したりするか、同文が定型文のようにいくつもヒットするものを拾って用いています。がやはり私のつたない英語力からみても改変の中に若干危ういものがあるのも事実です。
>説明に関しては、日本語版では日本語ですることになっているので、当然、目的に英英辞典は含まれません。
これも当初の僕の認識足らずでタイトルの書き方がちょっとずれていたので誤解があると思いますが、英英和辞典の要素、つまり主たる説明は日本語の訳語に任せるとしても、補足的に英語の説明を併記しうるかという問題提起と考えていただけるとありがたいです。(全部英語で説明してもいいかという問題提起ではありません。但し日本語訳語がそれ自体の性格上曖昧、説明不足、堂々巡りで事実上英語が主たる説明になってしまうこともあるかもしれませんが。)whymさんからは学習者用英英辞典や英英和辞典の要素を取り入れた編集スタイルは「ルールとしては禁止も許容もされていないと思います」とご回答頂いております。しかし管理の煩雑さから「取り入れるのはむずかしい」ともご意見頂いております。
実際、上の参考例のようにレイアウト次第では関連語の列挙と、英語での説明の補足的併記がほとんど同様の効果や意味、管理の煩雑さを生むように私は思うのですが、殊更「日本語版は日本語ですることになっている」帰結として英語説明の併記を排除するほどのものでもないと思います。また許容されるなら、例えば語釈文の説明は駄目だが関連語列挙と変わらない言い換え語説明は許容するなど、もし英語説明の補足的併記が認められるなら、具体的にどのようなガイドラインが可能なのか(それとも一律認めなくしてしまうのか)話し合っていければ幸いです。--219.211.122.141 2013年4月5日 (金) 02:09 (UTC)[返信]

テンプレートの使い方? 教えてください。 編集

テンプレートの使い方? と、テンプレートの種類、一覧、に、自己言及したページはありませんか? 西語の動詞の活用を作ってくれるテンプレートを使いたいのです。 カタカナ外来ゴ (トーク) 2013年3月20日 (水) 02:07 (UTC)[返信]

  コメント:一通り、建前どおりの事を書くと。
  1. カテゴリ:テンプレート[[カテゴリ:テンプレート#カテゴリ「テンプレート」にあるページ]]に一応載っていますが、テンプレート:標準の内容の案内/西洋語,は、未執筆で何も書いて有りません。
  2. ヘルプ:編集の仕方、にもテンプレートは載っていますが、解説は有りません。
  3. 漠然と
    >テンプレートの使い方? と、テンプレートの種類、一覧、に、自己言及したページはありませんか?
    と聞いても、普通答えようも無い。もし、真っ当な答えを書くと、上記1.のようになるので、Wikipediaの、Help:テンプレート と、Wikipedia:Template メッセージの一覧を、読んだ上にで質問をするとよいです。
ありがとうございます。西語動詞変化を表示してくれるテンプレートを使いたいと思ったのです。
それよりも、英語版、西語見出しにリンクしたほうがよいと思いますので、
記事の中に、英語版ウィクショナリへのリンクを表示したいのですが。どこに、リンクの使い方ありますか?
アドバイスありがとうございます。それと、かもページ副詞前の部分を転載、させていただきました。執筆ありがとうごさいます。カタカナ外来ゴ (トーク) 2013年3月21日 (木) 02:16 (UTC)[返信]

主にデータ放送用のUnicode記号の結果的機種(環境)依存性について、(注意喚起と 対策の話し合いを求めます。) 編集

主にデータ放送用のUnicode記号について。最近は、主に、利用者:Charidriさんの手で、データ放送向けUnicode記号が急速に整備されています。
わたしも、この一定の集中的整備には、賛成です。しかし、わたしのWinodowsPCでは、この項目は記号そのものが表示されないし、それ故に、検索することも出来ません。 『唯一、わたし一人なら、問題も無い? 』かも知れませんが、多分、全体からは少数派でも、相当数の人が、表示を出来ず、見ること、利用することも、検索することも出来ない状態だと懸念します。自分は直ぐに対策を思いつきませんでしたが、この問題について、凡例・ヘルプテンプレート:ドラフトテンプレート、などによる対策をとらないと、利用者(とりわけ閲覧利用)がとても不便することになるとおもいます。 皆さんのお知恵を貰って、対策・善後策を考えたいと思います。--みぃにゃん (トーク) 2013年3月24日 (日) 06:17 (UTC)[返信]

へえ、こんな記号もWiktionaryで扱われるんですね。僕のPCには16進ナンバーのアイコンみたいなのが出ましたが、これでは駄目ということなのでしょうか。見てるとコードのようなので16進ナンバー名で登録して(01F227かcode01F227など)読み方一般的な読みではない漢字のようにそちらで登録して、Unicode記号は横に併記の方が、閲覧環境を絞らないと思います。 --219.211.122.141 2013年3月26日 (火) 00:01 (UTC)[返信]

  コメント219.211.122.141さん、コメントありがとうございます。わたしの場合、アイコン?と言っても、🈧(投手)、🈦(演奏者(wp)),🈥吹き替え(wp))など、全部ではないが、主にデータ放送用のUnicode記号の大部分が、同じ表記(アイコン?)に成るので、検索もできず、読んでも意味がわからず、困った。
そこで、他の人の状態を尋ね、出来れば、利用者:Charidriさんにも問題点を理解してもらって、16進ナンバーなどでも検索して利用できるように対応するなど、より多数の利用者を考えた構成をとって欲しい。
>16進ナンバー名で登録して(01F227かcode01F227など)読み方一般的な読みではない漢字のようにそちらで登録して、Unicode記号は横に併記
には賛成です。
実は、219.211.122.141さん指摘の様な構成(項目フォーマット)は、テンプレート:標準の内容/漢字の例などで、点字と併記で採用されているし、これを、漢字以外のUnicode記号にも使えるようにしたらとも思いますが…。わたしだけでは、問題も起きるといけないので、みなさんのお知恵や、経験をほしいですし、下記の対策案への賛同も欲しいです。(意見を有る程度まとめられたら、うれしい。)
例えば、わたしが勝手に、上記の『16進ナンバー名で登録(立項)』などの編集をし、編集合戦を引き起こすなどは、愚の骨頂(たいへん愚かな行動)だとおもいます。(まずは、賛同を求めます。)
  1. (一案・私案)アイデアとしては、この『主にデータ放送用のUnicode記号』の記事・項目をガイドライン化はありがた迷惑だが、見本・雛形等を示して、公認のガイドを置きたい。
  2. また、1のUnicode記号問題が、一部の人への検索に問題が起きることや、表示の問題についての注意喚起を、ヘルプや、ガイドラインに、付記・補遺したい。
  3. わたし自身は、上記の219.211.122.141さんの提案『(Unicode項目記事も)16進ナンバー名で登録して(01F227かcode01F227など)読み方一般的な読みではない漢字のようにそちらで登録して、Unicode記号は横に併記』は此処には提案しませんでしたが、賛同意見が多ければ、その方向で構わない。
  4. 上記3.の方向になったなら、そう言う方針や内容を、ヘルプや、雛形で説明するべきだ。
  5. 今のところ、各記事のトーク(議論)のページで、(主に)利用者:Charidriさん=(著者)に、注意を喚起していますが、何の意見も、反応も有りません。もし、現実を理解してくださっていないのなら、とても残念で、困ったことです。
  6. わたしがこの掲示板(編集室)や、各記事のトーク(議論)で注意喚起しても、Charidriさん(問題を起こしている項目の大多数を新規立項している)が何も感じないし、全く無視しているなら、此処への招聘を利用者:Charidriさんのトーク(議論)のページに書こうと思います。
  7. もし、Winodowsや、特定の閲覧環境の問題であって、各閲覧者・利用者の端末側で対応すべきだと言うなら、それはそれで、Windowsサービスパックの適用や、その他の対策は明示するべきで、ヘルプも無いのでは、問題だと思います。
  • 上記(現状では)のキーマンであるCharidriさんへの説得力を持つ注意喚起を実現する為には、みなさんの賛同が必要です。see Category:意見募集中
  • わたしの意見が正しいと決め付けるつもりは有りません(その為の議論であり、掲示板ですので)から、より多くの人に意見を求めます。(反対提案も忌避しない。)--みぃにゃん (トーク) 2013年3月26日 (火) 06:04 (UTC)[返信]
  コメント まず、(現時点で)どノーマルのPCでは表示されませんし、表示されるわけがありません。PCのフォントフォルダには、これらのカテゴリにある文字のグリフを持ったフォントが標準でインストールされていません。Microsoft Windows 7からは少しはマシになったとは思いますが、それでも全てを表示できるわけではありません。
ご指摘の文字群はUnicodeの追加多言語面という領域にある符号です。まずもって対応するフォントがインストールされていなければ表示はされません。UnicodeのEnclosed Ideographic Supplementであれば、例として、花園フォントの「花園明朝」がフリーフォントとして世の中に存在しています。フォントをインストールした上で、更にウェブブラウザで設定しても表示されない場合は、別のウェブブラウザで閲覧してみてください。
フォントやブラウザなどの環境に依存しないために画像による表示(例:🀀を参考になど)を、作業のついでに、一部では取り入れるようにしてきました。でき得るかぎり、数多くの文字項目で画像表示が併用されることが理想ですが、都合上、それはまだまだ先のことになります。
そもそも、現在、直ちに、誰もが、Unicodeの恩恵を受けて文字が表示されているだろうということは期待していません。予備知識として、「これはこういうものだから仕方がない」と割り切った姿勢でなければ、理解できないでしょう。そう、今はまだUnicodeの普及が途上段階にあると考えてください。今当たり前のように表示できる特殊文字でも、10年以上前、2000年前後の頃では、フォントがなかなか無く表示させることが一苦労のものもありました。今それと同じ状況が別の特殊文字で起こっていると考えてください。Unicodeは更に拡大し、普及する方向にあります。今、表示されないからといって、それが何だというのでしょうか。心配することはありません。10年後には、当たり前のように表示できるようになっているでしょう。現在は、いろいろ試してみて表示できないのであれば、潔くあきらめることも大切ではないでしょうか。
参考までにw:Help:特殊文字などを参照ください。そして、勉強してください。--Charidri (トーク) 2013年3月26日 (火) 09:46 (UTC)[返信]
(追記)検索は数値参照でも文字参照でもどちらでもできるはずです。文字コードは10進数はいまいち信用ならないので、16進数をお薦めします。--Charidri (トーク) 2013年3月26日 (火) 09:53 (UTC)[返信]
検索に関しては、検索ボックスに A または A と入力すれば A が出ます。10進法、16進法どちらでも大丈夫です。上の例では、🈧 または 🈧 を検索してみてください。 — TAKASUGI Shinji () 2013年4月4日 (木) 09:52 (UTC)[返信]
ちなみにこのデータ放送用のUnicode記号は新語規制に引っかからないのでしょうか?--219.211.122.141 2013年3月29日 (金) 17:51 (UTC)[返信]

中国語のテンプレートについて 編集

英語版Wiktionaryをもとに作成した項目にはcmn-nounやcmn-verb等のテンプレートが使われていますが、このテンプレートではピンインにリンクが貼られるのが気になります。

ベトナム語のクォック・グーや閩南語の教会ローマ字は漢字を使わずにそれ自体で文章を書くということが有り得ますが、標準中国語のピンインは専ら発音を表記する文字で、クォック・グーや教会ローマ字のようにピンインが中国語の文章に用いられることはあまり考えられませんので、ピンインが項目になり得るかと考えるとピンインにリンクが貼られる仕様になっているこれらのテンプレートには違和感があります(強いてピンインの項目が立ち得るとしたらshìjièが「世界」と「视界」の発音といった同音異義でしょうか)。 --M-30722 (トーク) 2013年4月9日 (火) 02:16 (UTC)[返信]

そうですね。ピンインは学習者のための発音記号であって本来は漢字しか扱わないですもんね。英語版のように西洋圏ではもしかしたらローマ字の親和性からそのような表記にリンクされているのかもしれませんが、漢字文化圏の日本語版としては違和感ありますね。
さらにいえばピンインは学習者向けのものであることを考えれば、上の議題whymさんが日本語wiktionaryは「特定のレベルの学習者を対象にしているわけではない」と言及していることや、wikipediaに準じれば、少なくともwiktionaryの中ではレベル分けはなされるべきではないということからしても、英語版のテンプレをそのまま取り入れた齟齬が出てきてるのかなあと感じます。
ちなみにアラビア語などはどうなってますか?あれもシャクルは子供向けで本来つけないものですよね。--219.211.122.141 2013年4月9日 (火) 03:26 (UTC)[返信]
アラビア語はあまり詳しくはないですが、سلمذنبを見る限り項目名はシャクル無しで立てて意味の説明のところにシャクル付きの表記が書かれているようです。 --M-30722 (トーク) 2013年4月9日 (火) 07:41 (UTC)[返信]