三人これを疑えば、その母も懼る
日本語
編集成句
編集- 親子のように、どんなに固い絆があっても三人(この場合多数をさす)が口をそろえて言えば、あり得ない嘘や噂も人は信じてしまうということ。
由来
編集- 『史記・樗里子甘茂列伝』より。秦の宰相の甘茂が出陣に先立ち、(長い間戦で離れるので)自分の作戦、行動にどんな噂がたっても疑いを起こさぬようにと、秦王に対し予防線をはったときの故事。曾参(曾參)は、孔子の重要な弟子で孝の道に優れており、そのことを孔子に見込まれて『孝経』を著したとされる。
- 【白文】
- 甘茂至、王問其故。對曰、「宜陽、大縣也、上黨、南陽積之久矣。名曰縣、其實郡也。今王倍數險、行千里攻之、難。昔曾參之處費、魯人有與曾參同姓名者殺人、人告其母曰、『曾參殺人』、其母織自若也。頃之、一人又告之曰『曾參殺人』、其母尚織自若也。頃又一人告之曰『曾參殺人』、其母投杼下機、踰牆而走。夫以曾參之賢與其母信之也、三人疑之、其母懼焉。今臣之賢不若曾參、王之信臣又不如曾參之母信曾參也、疑臣者非特三人、臣恐大王之投杼也。
【訓読文】
- 甘茂至るに、王其故を問ふ。對へて曰く、「宜陽は大縣にして、上黨、南陽これを積むこと久し。名は、縣と曰へども、その実は郡なり。今王数険を倍し、千里を行きて、これを攻めんとするも、難し。昔曾參これ費ふる処、魯人に曾參と同姓名の者人を殺す有り、人、その母に告げて、曰く、『曾參人を殺す』、その母自若として織る。これに頃し、一人又これを告げて曰はく『曾參人を殺す』、その母自若として織る。頃して、又一人これを告げて曰はく『曾參人を殺す』、其母杼を投げ機を下り、牆を踰え走る。それ曾參の賢をもって、その母これを信ずるといへども、三人これを疑へば、その母懼るなり。今臣の賢曾參に若かざれば、王これ臣を信ずること、曾參の母曾參を信ずるにしからずなり、臣を疑ふ者ただ三人にあらずとも、大王の杼を投ぐるを臣恐るなり。
【現代語訳】
- 甘茂が参内すると、王はその理由を問うた。甘茂は答えて言った、「宜陽は大きな県で、上黨、南陽を久しく攻略しています。名は、県と言っていますが、その実は(さらに広域の)郡です。今王は、軍隊を増やして遠征しようとしていますが大変困難でしょう。昔、孝行者で知られた曾参というものがいました。あるとき、曾参と同姓同名の男が、人を殺しました。とある人が曾参の母親に、「曾参が人を殺した」といいましたが、母親は取り合いませんでした。その後、別の人がきて、「曾参が人を殺した」と知らせましたがまた取り合いませんでした。ところが、三人目にきた人が「曾参がひとを殺した」と知らせると、母親は機織りの器具である杼をなげだして、垣根を越えて逃げ出してしまいました。曾参は徳が高く、その母親は固く信じていたのでしょうが、3人もの人が疑えば、その母親でさえ信じてしまうのです。今、私の徳は曾参に及ばず、王の信頼も、曾参の母親が曾参を信じたものに及ばないでしょう。私を疑う者が三人にもならないうちに、王が杼を投げるのを恐れるのです。