九仞の功を一簣に虧く
- それまで積み上げてきた成果や功績が、最後の些細なものが足らずに未完成となり台無しになることのたとえ。
- (妻を死なそうとする夫の陰謀の話に続き)
- 夫は彼女の枕許で彼女が夫の不注意からこう云う大患になったことを詫りましたが、細君は夫を恨もうともせず、何処までも生前の愛情を感謝しつつ静かに死んでいきそうにみえました。けれども、もう少しと云うところで今度も細君は助かってしまったのです。夫の心になってみれば、九仞の功を一簣に虧いた、―――とでも云うべきでしょう。(谷崎潤一郎 『途上』)
- (参考)すんでのところで物事が成就・完成しなかったことを表す修辞
- 余は自然の手に罹って死のうとした。現に少しの間死んでいた。後から当時の記憶を呼び起した上、なおところどころの穴へ、妻から聞いた顛末を埋めて、始めて全くでき上る構図をふり返って見ると、いわゆる慄然と云う感じに打たれなければやまなかった。その恐ろしさに比例して、九仞に失った命を一簣に取り留める嬉しさはまた特別であった。(夏目漱石 『思い出す事など』)
- 『書経・旅獒』中の句「不矜細行、終累大德。為山九仞、功虧一簣」より。