「光陰矢の如し」の版間の差分

* 秋來庭下,'''光陰如箭''',似無言,有意傷儂。(蘇軾)
* '''日月過箭疾'''。公今未有田,把筆耕六籍。(黄山谷)
* '''光陰如箭'''如流水。散亂全因缺定門夏過半。(永明智覚禅師唯心決『景徳傳燈録』巻第三)
* '''光陰如箭'''如流水。散亂全因缺定門。(『永明智覚禅師唯心決』)
* 古詩曰。四時更代謝。日月遞差馳。蓋言<sub>二</sub>歳月之易<sub>一レ</sub>過也。況到<sub>二</sub>暮齢<sub>一</sub>。'''光陰如<sub>二</sub>征箭<sub>一</sub>'''、時節如<sub>二</sub>流水<sub>一</sub>。衰残之軀。取<sub>レ</sub>楽之工夫。須<sub>下</sub>以<sub>二</sub>一日<sub>一</sub>為<sub>二</sub>十日<sub>一</sub>。以<sub>二</sub>一月<sub>一</sub>為<sub>中</sub>一年<sub>上</sub>。若不<sub>レ</sub>然。縦雖<sub>三</sub>幸天假<sub>二</sub>百年<sub>一</sub>如<sub>二</sub>白駒過<sub>一レ</sub>隙耳。残喘須臾之際。苟徒爾而終<sub>レ</sub>身。雖<sub>二</sub>悔恨噬<sub>一レ</sub>臍。何益之有。 (『慎思錄』巻之二)
* 古語に、'''光陰箭の如く'''、時節流るゝが如し。又曰、光陰惜むべし、是を流水に譬ふと云へり。月日のはやき事、年々にまさる。一度行きて帰らざる事、流水の如し。今年の今日の今時、再帰らず。なす事なくて、等閑に月日を送るは、身をいたづらになすなり。惜むべし。大禹は聖人なりしだに、猶寸陰を惜み給へり、況や末世の凡人をや。聖人は尺璧を尊ばずして、寸陰を惜むとも云へり。少年の時は、記性強くして、中年以後数日に覚ゆる事を、唯一日半日にも覚えて、身を終るまで忘れず。一生の宝となる。年老いて後悔なからんことを思ひ、小児の時、時日を惜みて、いさみ勤むべし。かようにせば、後悔なかるべし。 (『和俗童子訓 巻三』)
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