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::(ロ)ルビはむしろ一般的ではない読みをしたときに振るものである。
::(ハ)「この肉の甘味だけは子々孫々忘れてはならぬ」において、「うまみ、かんみ」のどちらが普通か。
:順番に愚考を述べます。(イ)についてはご指摘の通り。当然のはずなのに、いや当然だからそのような読みのルビがみあたらないことはよくあります。その場合、ルビなしの用例を持ってくるのはやむを得ないと思います。私他の読み方の可能性があるというだけで、その可能性が高くなければ、たいていは用例を削除しません。それどころが自分でもルビなしの用例をしかたなく載せることがあります。以前に「人間」をどう読むかもめたことがあり、そのとき「じんかん」のルビのある例は示せなかった。まあ、文章の他の部分が漢文調だから、ここも漢音で「じんかん」と読むだろう、という例でお茶を濁しています。ですから、なにがなんでもルビ付きでなければ掲載できないというわけではないと考えます。
:(ロ)についてはご高説のとおり。珍しいものにルビを振る傾向がありますからたとえばルビのってある用例を集めて、そこから標準的な発音を推定しようなど試みると、事実に反する結論が導かれてしまう危険があります。
:(ハ)については、わたしも多分「かんみ」と読むだろうと思います。
 
:2について、問題となった個所を示すと、語釈は「自らの身を引き締めること」、用例は「自分の身を検束することを知らないで」となっていました。これについては[[利用者:Kkairri|Kkairri]]さんと私では見解の相違というほどではないせよ、感じ方が異なるようです。Kkairriさんは語釈に「自ら」とあるので、用例もそのように書いてあるものがよいとお考えのようです。私は逆に用例に「自分の身」と出てくるなら、語義に「自らの身」と書いてあるのは困ったことだと感じます。しかし、語釈が間違っているとか、用例が変だと言う意見は持ちません。ふたつの取り合わせが悪いだけ。決して有料の権威ある辞書の語釈を否定するものではありません。
 
:『学研 国語大辞典』は用例のたくさん載っているよい辞書で、わたしもしばしば見ます。「②自ら厳しく抑制して慎むこと」に故障を申し立てるつもりはありません。ところでそこにもう一つ用例がのっていますね。「或る人は放縦無頼社会の規律を顧みず自己の情欲を検束せぬのが天真であると考えておる(西田幾多郎、『善の研究』)。この用例に語釈を代入してみると、「自己の情欲を<自ら厳しく抑制して慎むこと>をせぬのが」となって、問題ありません。この辞書では私の見るとことろ、この代入に心を配っています。(ときどきは、奇妙なのもありますが。)私はウィクショナリもこの辞書の方式を大いに参考にすべしと思います。--[[利用者:ShikiH|ShikiH]] ([[利用者・トーク:ShikiH|トーク]]) 2015年10月30日 (金) 09:59 (UTC)