ラテン語

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成句

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mēns sāna in corpore sānō

  1. 健全な精神は健全な身体に宿る
  2. (祈願文 警句)健全な精神は、健全な身体に宿れかし。

語源

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女性名詞mēns(単数主格形)「精神が」+sāna(形容詞sānus「健全な」の女性単数主格形)+前置詞in(後ろに名詞の奪格形を伴って)「~の中に(ある)」+corpore(第三変化の中性名詞corpus「身体」「肉体」の単数奪格形)+sānō(sānusの中性単数奪格形)
全体で「健全な身体の中に健全な精神が」を意味する。なお、原文ではこの成句の前に'ōrandum est ut sit'「~あれかしということが祈られるべきである」がある。
ōrandumōrāre「祈る」の動形容詞(ゲルンディーウゥム)ōrandus「(将来)祈られる」の中性単数主格形であり、次のestにつながり述語的用法として義務、適当などの意味合いをもち「祈られるべきである」と解釈される。estはコピュラesseの直説法能動態現在三人称単数形。
接続詞utは、ここでは次に接続法の従属文を導くので、要求話法「(~してほしい)ということ(が)」を意味することがわかる。ここではōrandumにつなげて解釈すべきである。sitはesse「有る」の接続法能動態現在三人称単数形で、その主語はmēns sānaである。
これを含めると「健全な身体の中に健全な精神があってほしいということが祈られるべきである」となる。
ローマ市民が健全な精神をもたないことを皮肉る文脈から意訳すると「(ローマ市民は長寿とかなんとかを祈ろうとしているが、)祈るなら、健康祈願もいいが健全な精神も忘れず祈っておけ。」となる。堕落を自覚しろというわけである。

由来

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  • 1~2世紀古代ローマの詩人ユウェナーリスの詩『サトゥラエ』第10編で願い事の内容について風刺している詩中の言葉。通常は、語義1の意味で捉えられているが、詩全体を読むと「(現実としてはそうでないから)健全な身体に健全な精神が宿りますように」との祈願文になっており、「一般的に不健全な身体には健全な精神が宿るわけがない」などと主張した文でないのは明らかである。