トーク:おられる
上方方言
編集Ninomy さん。辞書らしい記述への修正ありがとうございました。ところで、冒頭、「方言」の前に「主に近畿地方の」と限定句をお付けになりましたが、どの辺りの方言でしょう。後学のためぜひとも知りたく。私の知る限りでは、大阪方言の尊敬の助動詞は「(ら)れる」ではなく「はる」、京都あたりだと「っしゃる」だと思います。つまり、大阪なら「おらはる」京都なら「おらっしゃる」あたりではないかと。講談社:牧村「大阪ことば事典」(1984)の「レル」の項にも、『ただし、大阪弁では「見られる」に受身の意はあるが、敬語ではない。敬語は「見はる」である。』とあり、さらに「シヤル」の項では『なさる、される(婦人語)さらにシィヤルと長音化する。』とあります。--Midville 2006年5月14日 (日) 17:11 (UTC)
私は発音的にいいにくい「いられる」の回避という意味も大きい(ひょっとしたら主たる理由)と思います。敬語意識とまったく無関係に、可能・受身の「いられる」と尊敬の「おられる」という区別の生成という通時的なトレンドがあるんじゃないでしょうか。ら抜きと似たような。--Gelasinos 2006年5月14日 (日) 18:02 (UTC)
- Gelasinos さん、まいど(関西風にご挨拶)。しかし、「いられる」には可能の意味しかないですよ。つまり「いることができる」。自動詞なので受身はないですし、まして尊敬の意味はありません。「いらっしゃる(いる+なさる)」というのが長ったらしくて言語学的に不経済だから忌避されるのであれば、「あられる」という「おられる」と同じ経済性の正しい敬語があるのですから、そちらを使うべきかと。最初、違和感があっても、政治家が正しくテレビでバンバン使えば慣れます(笑)。結局、(一部のまじめな方を除いて)政治家は国民を尊敬していないから、「あられる」と言いたくないんですよ。自分たちより上にあられるのは天皇だけと思っているんじゃないかな。せめて、国民には「いらっしゃる」と言って欲しい。--Midville
- ちなみに、一般的に日本語では、a ⇔ ö 母音交替する単語家族では、a の方が抽象的・高尚な意味に、ö の方が具体的・卑近な意味に分化しています。i ⇔ u は意味中立的です(a ⇔ ö に付随して母音調和しているとも言える)。
- この項に関係する例. aru ⇔ (w)iru ⇔ (w)öru。
- 一般的例. (魚の鱗のような形をしたもの=甍)iraka ⇔ urökö (魚の鱗)
- 一般的例. (植物の死)karasu ⇔ körösu (動物の死>人間の死)
- 一般的例. (天)ama < amma ⇔ ömmö (天の下>室外>幼児語「おんも」)
- 例外. (目下に使う助詞「が」)ga < ŋa ⇔ ŋö > nö (目上に使う助詞「の」)
- 最後の例外の謎が課題でもあります。ほな、おおきに。--Midville 2006年5月14日 (日) 19:08 (UTC)
「関西方言」としたのは、ただそうだとする記述をネット上で見つけたというだけの理由によるものです。僕は関西人ではありませんのでほんとに関西方言なのかは知りません。--Ninomy-chat 2006年5月15日 (月) 06:53 (UTC)
「いられる」は「いる」プラス尊敬の助動詞「られる」ですから尊敬の意味はありますよ。(つまり、後述するように、文法からは予想されるのに使用されない形として出しているわけで、使用される形とみなしているわけではありません。)(また、受身も、本論とははずれますがあります。被害の受身です。「そこにいられると迷惑です!」)「見られる」「来られる」「飛ばれる」すべて尊敬です。「していられて」は「していて」の尊敬の助動詞をつかった敬語です。しかし、尊敬の意味はないと断定されてしまうように、一部の女性の書き手がまれに使う以外この用例がたえてないのは何故か。その理由は発音ではないかもしれませんが、ともかく、普通こうはいえない。(あるをなぜ使わないのか、無情有情の区別がなくなるからかもしれませんし、「してある」と「している」の相の区別がなくなるからかもしれませんが、これも保留)ともかく、そこで「おられる」が使われる。これは、「謙譲語から丁寧語、そして一般的な美化用法」というのを否定しているのではなくて、それはそれでありつつ、もうひとつの、結果とした定着したことの大きな要因としてある、といっているわけで、さほど特殊な説を成しているわけではありません。その後「標準語の現在」水野雅央でも類似の記述を見かけました。この場合、代用として用いられる「おる」は西日本方言の元来から敬語ではない「おる」由来である、ということのようです。なお、同様の現象は「いて」の「て」なしで、たとえば「走ってい」のかわりに敬語の意味はなく「走っており」という(おもに文章語における)現象にも観察できます。もうひとつ「いらっしゃる」と比べたとき「おられる」は敬意はあるが丁寧ではない、ということも傍証としていえそうです。(また、もしかすると敬語動詞による敬語と助動詞付加による敬語ではニュアンス・用法に差異があるのかもしれません)--Gelasinos 2006年5月15日 (月) 10:37 (UTC)
- 東京方言の場合、尊敬の助動詞「(ら)れる」を動詞につけるとただちに尊敬の意も発生するかというと、そうではありません。アクセントが重要なのです。「い↗られる」だと可能表現で、「い↗られ↘る」とならないと尊敬には感じませんが、絶えて聞きません。「そ↗こにいられる↘と↗め↘いわくです」あるいは「そ↗こに↘い↗られる↘と(以下同)」は、むしろ元は「そ↗こに居座られる↘と」「そ↗こに↘居↗座られる↘と」で、発音経済上「すわ」が脱落した形でしょう。「し↗て↘い↗られて」は「し↗ていら↘して」の方が滑らかかつ尻下がりで落ち着いた感じになるので、女性としてのたおやかさが出るからでしょう。「おられる」は、それをよく使われる印象のあった野中広務元代議士が京都出身であるように、本来、関西弁ネイティブな方が、むりやり標準語(彼らに言わせると関東弁)をしゃべろうとした結果であるような気もします。「おる」そのものが古風な言い方ですから、「おる」が現役語の関西出身でさらに年配のかたですと、存在の標準動詞は「おる」になるわけです。それに標準語の「れ↘る」をつけちゃうからおかしくなるのではと。ちょっと今配偶者が側にいないので聞けないのですが、たしか関西では「ある」は「あ↗る」で「おる」は「お↘る」だったような。「あ↗ら↘へ↗ん」「居↘れへ↗ん」ちなみに「折↗れ↘へ↗ん」。「お↗られ↘る」は関西人的には自己のアクセント感覚が壊れる(壊れた結果の)アクセントのような気がします。Danke--Midville 2006年5月15日 (月) 16:32 (UTC)
- 今あらためて辞書を見ていて、「おる(居る)」の項に「[可能]居れる」とあるのに気がつきました。「いる」と「ある」には[可能]の記述はありません。居るの場合は「ラ抜き言葉」でない正当な形で「居れる」が可能な訳です。これは、可能形の成り立ちが「動詞の連用形+あり」だからで、五段活用の「おる」では「öri+aru → öreru」が成り立ちますが、上一活用の「いる」では「i+aru → eru」が「得る」と重なって不可能、五段活用ではあるのだけれど「ある」に「ある」を足す「ari+aru → areru」が不自然だ(「あれます」などと言えない)からですね。やはり単語家族の中で「おる」だけは特殊なのだなぁ。Danke--Midville 2006年5月15日 (月) 17:09 (UTC)
講談社現代新書「敬語は怖くない」にも記述がありました。面白いのは、「おられる」は東京方言のかたにはとりわけ受け入れがたいもののようです。基本的に東京方言では謙譲語が「おる」の主たる意味だからでしょう。東京方言と標準語はイコールでないので、そのへんも微妙な感じがします。なお、「いすわられる」由来であるというのはかなり無理があると思います。また、西日本方言では、「られる・れる」で尊敬を作るのは一般的にむしろより標準的な語法ですから、「おられる」の語形は西日本方言の文脈では無理がありません。そのうえで、標準語にとりいれられたわけです。「謙譲語プラス尊敬になるから不条理」というのは、語の由来としては不条理でないものを東京方言の聞き手が「再解釈」したときに生じる分析・不条理であって、話者における分析・意味ではないと思います。もちろん、東京方言というか保守的な標準語話者にききぐるしいのは事実でしょうから、積極的に推奨できないのもたしかですが。
- ええと、とりあえず現状では一言だけ。私は「東京方言」と「標準語」を厳しく峻別しております。混同していらっしゃる方も多い(特に東京方言ネイティブな方に)のですが、例えばNHKに入ると、一番語彙・アクセントを直されるのは東京出身者だそうです。さもありなむ。--Midville 2006年5月16日 (火) 11:05 (UTC)
したがって、現在の規範的・誤用非難的観点からの記述をもうすこし中立的なものに修正すること(一部の政治家が使うというレベルではなく、もうかなり一般化している表現です)、由来の記述をより実態に即したものにかえること(西日本方言由来であり、語源的には不条理な表現ではないこと)、結果として広く受け入れられた理由の一つには活用の不備を補うという機能的な側面があること、そのうえで、誤用として聞き苦しく受け取られること、標準語の文脈で解釈すると不条理になることを警告すること、が必要だと思います。これは使用を推奨するというような意味ではもちろんありません。--Gelasinos 2006年5月16日 (火) 10:25 (UTC)
- 現時点での記述は「おる」は謙譲語であるという前提に立った偏った記述に感じます。また「おる」が丁寧語なら今度は二重敬語であるとされていますが、これらの記述は本当に正しいのですか? 辞書でも過ちであると断定している記述は、あまり無いように思います(私は見た事が有りません)。中立的というよりも、「おられる」という表現をしない地方の者から見た視点でしかないように感じるのですが…。
- 文法的な事を論じる事はできないのですが、私としては以下のページでの説明の方がしっくりします。
- これは私が関西の人間だから感じるのでしょうか…--Nisiguti 2008年2月22日 (金) 22:01 (UTC)
- 文献にあたっていないので何ともいえませんが、文部科学省国語研究所と並んで日本語の標準語に関して規範的な立場にあるNHK放送文化研究所で「おられる」を尊敬の文脈で使っているものが見られますので、尊敬用法があるのかなあと思いました。--NJT 2008年2月27日 (水) 04:57 (UTC)
- 私の感覚から言えば「おられる」という尊敬用法は有るのが当然で、「おる」という言葉が「謙譲語」だけと断定する方がおかしな感じがします。
- * http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312369128
- ここの意見を読んでも全く違和感は感じません。「おる」に謙譲語としての意味がある事は否定しませんが、「おられる」といった時には「おる」という部分にに全く謙譲語としての意図は無いんですよね、実際。単に「いる」の丁寧語(?)に過ぎないという方が私の感覚にしっくりきます。
- 関東で「おられる」という言葉を使わないのなら使わないでも良いですが、それならばここの記事を単に関西でも表現とだけ記述したらどうでしょうか。関西での方言とて使うならば問題無いといいながら、方言に無理やり標準語の語法を当てはめて、誤りだとか誤用だとか、実に偏った記事だとしか思えません。--Nisiguti 2008年2月27日 (水) 14:23 (UTC)
- そもそも「おる」って謙譲語なんですか? 東京人は「私はここにおる」って言うんですか? 「ここにおります」なら言いますが、それは「おります」で一語なんじゃないかと。--三波雄 2008年8月4日 (月) 23:06 (UTC)
- そして「誰もおらず、」っていう言い方は絶対に謙譲語じゃないと気がつきました(笑)。まさか「おる」は謙譲語で、「ず」をつけたら謙譲語じゃなくなるってことはないでしょう。--三波雄 2008年8月4日 (月) 23:37 (UTC)
補助動詞
編集Ninomy さんが書かれた『ほんとは「動詞」ではないけど』の件ですが、今後この手の複合語の品詞はどうしましょう。一般の辞書では「(補動)」という表示が多いようです。「おられる」は、実際は複合助動詞だと考えますが。上記「大阪ことば事典」では、凡例の品詞欄に(動)動詞、(助動)助動詞、(補動)補助動詞とあり、「レル(助動)」「ハル(補動)」とあり、「シヤル」は「スル(動)」の敬語形なので特に表示はありません。三省堂:金田一「明解国語辞典」(1979)(1991)ですと、『「おる」[一]〔西日本方言〕いる。』は動詞ですが、『同項[二](補動)……ている。』は補助動詞のようです。標準語「おられる」の「おる」がその時点で補助動詞ということですね。だから最初「補助動詞」としました。まとめると、敬語としての「おられる」は「補動+助動」、「おらはる」は「動+補動」、「おらしやる」は「動+動」のようです。むぅ。--Midville 2006年5月14日 (日) 17:11 (UTC)
「ですます調」の「ます」も未立項ですが、元は「まゐらする」(か「申(まう)す」)という動詞なんですよね。古語では(助動特活)で現代語では(助動・特殊型)などと分類されています。まあ、助動詞でよいでしょうか。確か「です」の語源の方はいまだに学会が定説(有力説合意)に至っていないんですよね。--Midville 2006年5月14日 (日) 17:11 (UTC)
- 文法は詳しくないので、どうなのかよく知りませんが……。この手の複合語の第3レベル見出しの扱いはどうしたものかと前々から思っていましたが、まぁそれっぽく書いておけばいいかと(適当)。慣用句ってわけにも行かないですし。
- 学会で定説に至ってない云々は、語源を書くならば、NPOVの観点からも、その学説やどの程度支持されているかなどを書いていただきたく。--Ninomy-chat 2006年5月15日 (月) 06:53 (UTC)
誤用であるか
編集上の方でも軽く語られていますが、見出しを新しく立てさせてもらいます。強く誤用であるという事を言っていますが、現在(?)では、ほぼ誤用でないと思います。「おられる」は尊敬語「おります」は謙譲語といった感じではないでしょうか。(おられるの項があると知らず、「おる」に尊敬語として書いてしまいましたので、ちょっとした矛盾みたいになってます。)時間がなく短文になりましたが、お許しを。--SHO 2008年11月3日 (月) 15:27 (UTC)