トーク:まるで

最新のコメント:4 年前 | トピック:語義分類変更について | 投稿者:Ryota7906

語義分類変更について 編集

「英訳との対応にこだわって語義分類するのはちょっと違う気が」という要約欄とともに語釈が変更されましたが、「英訳との対応にこだわって語義分類」したつもりは全くありません。日本語「まるで」の意味内容・用例を真剣に考察して初版のように記しました。そのあとに訳語として英語を対応付けました。現在の版の語義2-1と2-2は比喩や類似を意味する助動詞や用言を強めているだけで語義1の仲間と見なせますが、語義2-3はそれ自体が比喩や類似の意味を担っています。初版はそのように自分なりに考えた結果であり、自分としては妥当だと考えています。--Yapparina (トーク) 2019年12月29日 (日) 03:58 (UTC)返信

すみません。そのような編集をなさった理由についての要約欄の記載内容は当方の早とちりで申し訳ありませんでしたが、ご説明のご事情ですとまた別の誤りがあることになります。一言で言えば「程度副詞」と「陳述副詞(呼応の副詞)」の混同です。
大辞林第三版によると「陳述副詞」とは
述語の陳述的意味を補足、強調、または明確化する副詞。「決して行かない」の「決して」、「たぶん行くだろう」の「たぶん」、「もし行ったら」の「もし」のように、否定、推量、仮定などの一定の陳述的意味を表す形式と呼応して用いられる。呼応の副詞。
とありますが、要は特定の種類の述語と連携してある意味を形成する副詞、ということです。
たとえば「ちっとも」ですと、否定の意味を強調する副詞ということになり、否定以外の意味を持つ述語とは共起しません。「*車の運転はちっとも上手だ。」のような肯定の意味を持つ述語と結びつけて文を作ったとしても文法外れで非文となります。またこのような事情から「ちっとも」という語はそれが出現した時点でその後に否定的な述語が出現することが予想されることにもなります。つまり「ちっとも」は文を否定する意味を半ば担っている、あるいは述語との連携によって否定の意味を形成していると言っていいわけです(文脈によっては「ちっとも」単独で否定の意味を担います。たとえば「車の運転は上手?」「ちっとも」というやりとりでは「ちっとも」だけで否定の意味が表されます)。この意味で「ちっとも」は単なる程度を強める副詞ではなく、「非常に」や「たいへん」などといったどのような述語に対しても強調できる程度副詞とは異なります。
同様に「あたかも」は、比喩の意味を述語とともに形成する副詞でありこれも陳述副詞です。「*クジラとサメはあたかも違う種である。」などと、明らかに比喩以外の意味を持つような述語と組み合わると非文になってしまいます。
「まるで」の各語義についても、上記「ちっとも」あるいは「あたかも」と同様です。1番めから3番めまでの語義において「まるで」は単に程度を強めるだけの副詞ではなく、述語と連携して特定の意味を表現している陳述副詞です。
最後の語義についてはやや分かりにくいと思われる部分もあるので補足しておきますと、宮沢賢治の例では「そらのてっぺん」と「カチカチのやきをかけた鋼」を繋辞的につないでいるのですが、この両者は明らかに同一物ではありません。ここで「まるで」という語がなかったとしても、この文は二つのものを同定するという意味での断定表現ではなく、隠喩という比喩表現でしかありません。岡本かの子の「都会のこういう名園」と「山中(の静けさ)」についても同様です。
よって「まるで」が比喩や類似の意味を担っているのは、2番めから4番めまでの語義を通して同様ということになります。--Ryota7906 (トーク) 2019年12月30日 (月) 09:55 (UTC)返信
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