トーク:構成

最新のコメント:17 年前 | 投稿者:Aphaia

「#(哲学用語 constructionの訳)先験的観念論において、無作為に取得されたデータ又は情報を、ある論理により組み立て、それを知識としてまとめること 。」というのが分からなかったのですが、前の版をみてくると「感覚与件を悟性が統合すること」的なことが書いてあって、これを構成ということの是非や「先験的観念論」が何を指しているのかはともかく(最初ドイツ観念論かなと思いましたが、フッサールに依拠している可能性もありますね)、ひとつの哲学的立場としては理解できます。そうすると、これを「敷衍」して上の形にするのは哲学的主張の理解としてはまずいです。「データ」と「感覚与件」(センスデータ)は違うものですし、情報は概念的でありえるので、さらに違います。「論理により」というのは少し留保がいって、これはもとのように「悟性により」のほうがいいように思います(必ずしも術語論理や命題論理によるものではないので。ここで「大きい」はすでにして悟性的把握です)。総じて、理解の方向としてはいいのですが、もとの定義のもっている哲学的な意味とは大きくずれている点があり、これを戻すのでしたら、もう一度もとの文章(たぶん翻訳なんですよね?)に即して書き直したほうがいいように思います。もしこれが私が考えたように、前期フッサールに超越論的構成のことをいおうとしたのだとすると、上に引用した説明ではだいぶ意味が違うように思います。あるいはカントやフッサールの邦訳に直接依拠して、定義を練ることも考えたほうがいいのではないでしょうか(でもカントでは統一ということをいっても構成ということはいわないんだけどな)。--Aphaia 2007年4月17日 (火) 17:03 (UTC)返信

本職の方に出てこられると言い返す言葉が無いので、言い訳を。まあこれは、どう考えてもどこからかの辞書の引き写しなので、「君、平易な言葉で言い換えてみて」と多少のいやみをこめた所業でして、案の定、へろへろになったので、とりあえず、書いてあるとおりにやってみるかと思って、「所与として」はアプリオリにと言うことだろうし、「悟性が」となれば、意味づけとかそんな機能だったかなと大学教養時代の試験前の一瞬の記憶を頼りに書くと、ああこれは、近頃流行のdata → information → knowledge(→ wisdom)と同じ流れじゃないかと勝手に理解した次第です(で、「知識」の前段階だなということで、データと情報をとりあえず並べてみたんですが)。まあ、子供にこの程度は書けと言ったつもりで、専門家を前にしては汗顔の至り。--Mtodo 2007年4月17日 (火) 17:40 (UTC)返信
読み返すとこちらも自爆気味なことをいっているので訂正しておきます。カントにはKonstruktionという語は一応でてきました。お恥ずかしい。語の定義を与えているのは動詞形の konstruktieren なのですが…。本文のほうにはこちらをすでに反映済みです。--Aphaia 2007年4月18日 (水) 06:32 (UTC)返信
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