トーク:的を得る

最新のコメント:7 年前 | トピック:「正鵠を得る」について | 投稿者:TDKRKUJ

「正鵠を得る」について 編集

ShikiHでございます。 2017年3月26日 (日) 17:27‎の版で語誌の項目がたいそう増えました。これについて私の感じたところを述べさていただきます。

まず、「的を得る」と「正鵠を得る」の関係ですが、この二つはどちらかがもう一方から派生したという決定的な証拠はあげられますまい。であれば「的を得る」のページで「正鵠を得る」について詳しく述べるのはいかがなものか。正鵠、のページに記述するのが本来のように思います。

「得」と「える」についてですが、前者は中国語、後者は日本語なので、別個に論じなければならないことはご案内のとおり。中国語で「得正鵠」とは言わないから、日本語で「正鵠を得る」と書くと奇妙だというのはその通りだとしても、そのことだけで「正鵠をえる」は間違いというわけにはまいりますまい。「正鵠をえる」の「える」の使い方については、日本語としての適否を考えなくてはなりません。

いずれにせよ現在の語誌の記述は見出し語「的を得る」からいささか遠いところへ行ってしまいました。そう感じます。TDKRKUJさんにおかれては、このページでの記述分量を最小限に絞っていただき、正鵠のページが成立したらそちらにお書きくださるのがようかろうと考えます。いかがでしょうか。なお、私は「的を得る」はあんまり好ましくないと感じています。--ShikiH (トーク) 2017年3月28日 (火) 09:57 (UTC)返信

ShikiHでございます。1週間ほどご意見がないようなので、一歩作業を進めます。すなわち、正鵠に関する部分をコメントアウトします。個人のブログを参照しているところも同様。ウィクショナリではこれを参照する習慣がありませんから。ご意見をお書きくださると幸いです。--ShikiH (トーク) 2017年4月5日 (水) 15:21 (UTC)返信
TDKRKUJです。「正鵠」についてですが、「正鵠」は中国語で、中国で正鵠の意味は「的」で、本来日本とは関係ありません。中国語が無ければ「日本語の正鵠」自体存在しません。「正鵠をえる」の「える」は、中国の『礼記』の「不失正鵠」を「lost」という意味の訓読をし、そのlostの対義語のgetで「える」としたとされています。そうであれば「える」である理由は「典拠は中国の本だから」となり「中国語を無視することが不適切ではない言葉」とは思わないです。ただ、ShikiHさんの「正鵠のページで詳細を書く」というご指摘は的を射ていて勉強になりました。ShikiHさん、ご意見ありがとうございました。--TDKRKUJ (トーク) 2017年4月8日 (土) 10:05 (UTC)返信
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