折 角(せっかく)
- わざわざ、骨を折って。
- 元は、「努力して」「骨を折って」のみの意味であったが、現代では、その効がなかった場合ないしそのままでは効がなくなる場合に多く用いる。
- 雨降りだと、雲煙が深く山を封してゐるから、折角山へ入つても山を見ることはできず、よほど厳重な雨支度をしてゐない限り、からだはびしよ濡れになつて、大概の人は風邪をひいてしまふ。(徳田秋聲 『霧ヶ峰から鷲ヶ峰へ』)
- 親切にも。運よく。恵まれたことに。好都合に。
- 折角をかしみのある女の風情も、長い間に磨り減らされ、踏みにじられてしまつた。(島崎藤村 『婦人の笑顔』)
- くだらないことを言って、せっかくいい心持ちに寝ているところを起こしてしまった。(楠山正雄 『文福茶がま』)
- (古用法) せいぜい。がんばって。
- 行倒の乞食の懷から小判で百兩出たといふ話には驚かないが、その行倒れを毒死と睨んだ平次親分の目には恐れ入つたよ、――此處は馬道だから、筋を言や俺の繩張りだが、そんなケチな事は言はねえ、まア、折角やんなさるがいゝ。(野村胡堂 『錢形平次捕物控 血潮と糠』)
- わざわざ骨を折ってすること。得ること。
- 昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。(坂口安吾 『堕落論』)
- 「貴君の作品の中で、愛着を持つてゐらつしやるものか、好きなものはありませんか」と云はれると、一寸困る。さういふ条件の小説を特別に選り出す事は出来ないし、又特別に取扱はなくてはならない小説があるとも思へない。(略)かう云ひ切つて了ふと、折角の御尋ねに対する御返事にはならないから、(芥川龍之介 『風変りな作品に就いて』)
- 私は一体懺悔と芸術とを一緒にしてゐないが、また少しでも自己弁解乃至自己弁護の芸術の中に雑るのを嫌つてゐるが――そのために折角な芸術が芸術として味ははれなくなるのを常に恐れてゐるものであるが、これに限らず、この作者のものは、すべてさういふ点において非常に欠点があると私は常に思つてゐる。(田山録弥 『三月の創作』)
- 親切なこと。運のいいこと。恵まれたこと。よい機会。楽しくやっていること。
- 若しおよろしいようなら、今日は折角でございますから奥様だけでも是非おいで下さいますように。一年にたった一度のクリスマスで――(宮本百合子 『或る日』)
- あいにくこの方面も種切れです。が、まあせっかくだから――いつおいでになっても、私の談話が御役に立った試がないようだから――つまらん事でも責任逃れに話しましょう。(夏目漱石 『文壇の趨勢』)
- 日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。(中島敦 『鏡花氏の文章』)
- 「あら!」/と、月江が目を見はッたのは、その調子はずれに驚いたのではありません。/扇の飛んで行った次の間に、ひとりの男がいつのまにか坐っていて、/「折角なところを、夜分お邪魔いたしまして相すみませんが」/と、その扇を持って、いざり出して来たからでありました。(吉川英治 『江戸三国志』)
- 『後漢書・郭符許列伝』にある、郭泰の以下の故事からという(日本国語大辞典など)。但し、現代中国語では用例が見当たらず、正確性は不明。
- 嘗于陳梁間行遇雨,巾一角墊,時人乃故折巾一角,以為「林宗巾」。其見慕皆如此。
- (大意)郭泰が陳から梁へ行くときに雨に遇い、頭巾の一角が折れた。人々はそれを真似わざと一角を折って、「林宗巾(「林宗」は郭泰の字)」と称した。そのくらい慕われていた。
- なお、『漢書・楊胡朱梅云伝』に以下の故事が記載される。
- 是時,少府五鹿充宗貴幸,為梁丘易。自宣帝時善梁丘氏說,元帝好之,欲考其異同,令充宗與諸易家論。充宗乘貴辯口,諸儒莫能與抗,皆稱疾不敢會。有薦雲者,召入,攝沥登堂,抗首而請,音動左右。既論難,連拄五鹿君,故諸儒為之語曰:「五鹿嶽嶽,朱雲折其角。」繇是為博士。
- (大意)元帝は易経の梁丘賀説を好み、少府五鹿充宗と易経を修めた者に議論させ異同を考察しようとした。五鹿充宗は権勢と巧みな弁舌があったため他の学者は彼に対抗しようとせず、病気と称して出てこなかったが、侠客上がりの易経学者朱雲は堂々と五鹿充宗を論難した。儒者たちはこのことを指して「五鹿の長い角を朱雲が折った」と言った。