テンプレート・トーク:標準の内容/アイヌ語
正則カナ表記とありますが、カナ表記の揺れのうち、特定のものを正則であるとするのは何処の権威というか立場なのでしょうか。たとえばイワンでンを小さいヌで表記するような表記が、一般的な、あるいはなにかしらの権威によって正則とされている、というのは、私の知識の問題かもしれませんが、存じ上げません。知里の表記であるというだけであるとすると、正則とまで言うのは、問題なのではないでしょうか。そうでないのであれば、よろしければ「カナ表記」文書にでも、典拠を書いていただけると助かります。--Gelasinos 2006年5月20日 (土) 10:50 (UTC)
- はじめに申し上げておきますが、「知里」は n を「ン」で書いています。誤解のなきように。また、私は知里原理主義者でもありません。あえて申し上げれば、典拠は Unicode 3.2 と JIS X 0213:2004 です。「ㇺ」と「ㇴ」が「日本国の規格」として定められたのですから、m と n をそれで書き分けよ、ということだと私は理解しています。また、私はそれ以外の表記を排除しているわけではありません。もとより JIS は文学的表現を規定しません。だから併記するのです。しかしながら辞書ですから、アイヌ語の n は日本語の「ン」と違うのだと明確にする必要はあるのです。Thanks--Midville 2006年5月20日 (土) 11:18 (UTC)
- 小さいヌを使う表記を可能にするために字を用意したということであって、それを推奨するということとは全然違う話でしょう。ですから、典拠とはいえません。そのうえで、たしかに区別するのはどちらかといえば有益ですが、それはあくまでもwiktでの表記上の執筆者側の約束というレベルの話であって、それを正則と表現するということは、規範的に読者に特定の表記を推奨するということになりはしまいか、ということです。--Gelasinos 2006年5月20日 (土) 11:24 (UTC)
- さらに少し補足しますと、私の申し上げる「正則」とは「正則アラビア語」などというときの「正則」の程度であって、つまり「最大公約数でよりフォーマルな」程度の意味で、絶対的規範を意味しません。--Midville 2006年5月20日 (土) 11:37 (UTC)
- iwan 以外の他の語彙でも母音がその後ろに続かない「n」を書き表すために「ン」が使われていますので、あえてwiktionaryで小さい「ヌ」を用いる必然性はないように思われます。どこかのアイヌ語教室か大学研究室で使われているのでしょうか?もし「ン」ではなく小さいヌでかかれている文献があれば、その文献を引用する場合にのみ使用を限定すべきかと考えます-せんべい屋の寄宿人 2006年5月21日 (日) 22:42 (UTC)
- せんべい屋の寄宿人さん、お疲れ様です。お世話になってます。
- 『 Wiktionary のアイヌ語通常表記では、誤解のない限り単独音素 /n/, 複合音素 /np/ を「ン」「ンㇷ゚」で書き表す。』
- という合意が形成されるなら、反対しません。なぜ私が「ㇴ」にこだわるのか理由を述べますと、日本語の「ン」はあまりにも音韻的に多義だからです。通常の日本語話者は自覚的ではありませんが、日本語「ン」に対応する音韻は、ざっと [ɴ, ɴ̩, n, n̩, m, m̩, ŋ, ŋ̩, ɲ, ɲ̩, ɯ, w, _ⁿ, _̃] で少なくとも22種類もあります(最後の [_ⁿ, _̃] は、aeiou 5母音それぞれに、で10種類と数える。同じ字母の下にある小さな縦線は Syllabic = モーラ/アクセントを形成するの意、です)。
- こうなると、正しいアイヌ語の発音を初学者に伝えるためには「ン」は不適当、と考えるからです。少なくとも発音を問題にする場合には、「イワㇴ + ペ = イワㇺペ」と書けないと困ります。Thanks--Midville 2006年5月22日 (月) 08:06 (UTC)
- せんべい屋の寄宿人さん、お疲れ様です。お世話になってます。
正字法と発音表記は異なります。アルファベットやカナの表記は正字法の問題であって、発音表記の問題ではありません。正字法が発音表記の観点から、音素体系をうまく表現できていない、厳密には不備であるということはよくあります。もちろん、正字法は発音表記の観点からより適切であるほうがよいには決まっていますが、現に正字法としてはっきりと確立されていないものを正字法であるかのように誤認させることも問題でしょう。--Gelasinos 2006年5月22日 (月) 09:26 (UTC)の一部
- 私は一切、正書法とも正字法とも申しておりません。非常に誤解されています。誤解されているのは困ります。「この辞書での正則な=揺れのない表記用の、カナ表記と言っているだけなんですよ。なぜ揺れのない表記が必要かというと、関連語などに「rōmaji カナ 意味」と手短に書くときに、カナの揺れを全部書いていたら大変だし非常に読みづらいということに気づいたからです。カナをひとつ選ぶなら発音的にも正しいのを選ぶべきでしょう。Thanks--Midville 2006年5月22日 (月) 11:27 (UTC)
仮に、より正書法に近いものをとればアコロイタク表記でしょうが、そのように正書法というのは社会的承認の問題であって、学問的厳密さの問題ではありません。また、その為にこそ、音標文字などの発音表記や、「アイヌ語の発音表記・文書」があるのでしょう。--Gelasinos 2006年5月22日 (月) 09:26 (UTC)の一部
- 例えばフランスでは、国立言語アカデミーが学問的・語源的正しさを根拠に(新語についてまで)正書法を定めています。それが正しいといっているのではなく、そういう国もあるということです。それがフランスの社会的承認方法なのでしょう。(日本だと、国立言語研究所が勧告を出しはしますが、影響力は行使しても、事実上の言語生活への強制力はありませんね。ただ、新聞で公表されれば影響は大きいです。)--Midville 2006年5月22日 (月) 12:28 (UTC)
ですから、より一般的に流通している表記をかりに正書法に近いものとしてあげ、つぎに発音表記的観点からより誤解の少ない表記を、そういうものとしてあげる。ひとつしか表記を挙げられない場合は、流通しているものを使う。それが穏当であるのではないでしょうか。--Gelasinos 2006年5月22日 (月) 09:26 (UTC)の一部
- 非常に素朴な疑問なのですが、その「より一般的に流通している表記」というのを、ひとりひとりの(特に生粋のアイヌ語話者でも、常時アイヌ語生活者でもない個々の)寄稿者が、どうやって判断するのですか。--Midville 2006年5月22日 (月) 12:28 (UTC)
発音についての注記は、該当文書や、「凡例」文書を作って対処するしかないでしょう。そもそも、ン以外でも、厳密には日本語のカナの読みとは発音が違うのですから、カナ表記だけを見て発音しようとする人が間違うのは、どうせ避けられません。その点には、日本語のカナの読みとは多少発音が異なる旨の注記をテンプレート化して埋め込むということではどうでしょうか。
ただし、特に発音が問題になっている文脈で、正書法としてではなく発音表記としてカナを用いる場合には反対しません。しかし、その場合には、何処かにその旨注記が必要だと思います。
--Gelasinos 2006年5月22日 (月) 09:26 (UTC)の一部
- なお、正則、ということについては、正則という表現自体が問題だというよりも、正則と許容をどちらを正則とするかを何を基準に決めるか、発音上の学問的厳密さや「正しさ」の観点から「我々」が決める権利があるのか、ということです。ですから、典拠をお聞きしたわけです。--Gelasinos 2006年5月22日 (月) 09:45 (UTC)
- 我々は辞書を作っているんですよ。権利があるとかないとかそういうことを一切抜きにして、見出し語は表記の揺れ全部を収録すればよいかもしれませんが、本文の中ではそうはいきません。なにかひとつ揺れのない表記を選ばなければならんのです。それは正しいからとか不遜だからとかそういうことではなくて、そうしないと統一が取れないし、なにより辞書編纂者として読者に対して無責任だからです。どの辞書の編者も悩みながらも統一的に決めていることです。だから「この辞書での取り決め、ということで合意をしましょう」といっているのです。Thanks--Midville 2006年5月22日 (月) 11:40 (UTC)
「辞書を書く・辞書を作る」という行為は、その言語の文化に影響を与えます。それは絶対に不可避なことであって、第三者として作るとか、傍観者として作るとか、正書法・正字法に影響を与えないようにとか、無理な話なんです。社会科学における実験は、たとえ実験でも、自然科学の実験のように、対象に大局的な影響を与えずに行うということは無理なんですよ。微視的な世界における不確定性理論と同じようなものです。我々がその辞書の表記に社会的責任が持てないなら、辞書など作るべきではありません。しかし、辞書を作りたいのです。であれば、「覚悟」しなければなりません。どうせなら、それが正書法・正字法として採用されても過不足ないものを作る。それがボランティアベースであっても辞書を作る者の責任です。
私個人の希望的観測としては、将来、アイヌ語版 Wikipedia, Wiktionary を記述するに過不足のない語彙を集める、ということを一つの目標にして日々活動しています。私が、納得がいくまで絶対に妥協しないように見えたり、不必要なまでに規範的に映るのは、その来るべき時に後悔したくないからなのです。--Midville 2006年5月22日 (月) 12:04 (UTC)
ですから、私は、はじめから、この辞書の統一表記方針を定め、またそれを将来の正書法として提案することさえ否定してません。それを、すでに正書法として確立されているかのごとく誤解させる書き方を排除すべきであるといっているのです。読み返してみていただければ納得いただけると思います。いいですか、この辞書の正則を単に正則と表現することは問題であるといっているのです。標準が不在の状態で標準の形成に寄与することはよいことですよ。反対してません。それと、それがすでに標準であるかのごとく表現するのは間違っている、ということは完全に両立することでしょう。また、将来正書法として受け入れられても責任が持てる水準を目指さねばならないというのもまったくもっともです。そんなことにはまったく反対してません。わたしは、しかし標準はまだ厳密にはさだまっておらず、ゆれがある、という現実を、きちんと辞書は反映すべきである、と述べているのです。わたしが強調し、主張しているのは、この辞書での取り決めをすることに対してではなく、この辞書での取り決めに過ぎないものを、それ以上の何かのように誤解させることは避けるべきである、ということです。というわけで、本質的には、意見の相違はないようですが、正則とだけ書くことで、そういう誤解を招くかどうかという点に見解の相違があるようです。その点で妥協が図れないでしょうか。
- ですから、私は「誤解させよう」などと最初からまったく思っていません。言葉はきついかもしれませんが、Gelasinos さんが「誤解させる書き方だ」と誤解なさっている、と私は思っているんですよ。標準の内容の書式語がダラダラ長い説明で書いてあってもしょうがないじゃないですか。もし、どうしても Gelasinos さんが「正則」という言葉が Gelasinos さんの語彙の中では「誤解を招く」言葉だと思われるなら、feel free! にサクッともっとよい表現に編集されて、対案を示していただければよいではないですか。それが Wik* でしょう。--Midville 2006年5月23日 (火) 16:59 (UTC)
なお、割り注の形でのレスは、ひとによっては他人の文章の改変(整形)としていやがられることもあります。wikipediaでのチベット関係での議論を参照ください。念のため。 --Gelasinos 2006年5月23日 (火) 12:56 (UTC)
- すみません。私はいままで電子メールの世界の人だったので、その「割り注」というのですか、初めて聞いた言葉なんですけれど、その人の文脈にそって、文意が散漫にならない2~3行ごとに回答するのが電子メールの世界の流儀だったのでそうしているだけなんです。他意はまったくありません。電子メールでは引用の行頭には引用した回数分だけ「> 」をつけるので、混ざらないんです。Wik* でもそうするためにインデントするんだと思っていました。Gelasinos さんはあまりインデントなさらないので逆に不思議に思っていたのです。Thanks--Midville 2006年5月23日 (火) 16:59 (UTC)
もう少しだけ補足しておきますと、私はコンピュータの世界の人なので、普段、「正則」とか「正規」という用語は「regular」の訳語、つまり一般語なら「変則でない」「普通の」「一般的な」「正規の出場権をもつ」、もう少しコンピュータ寄りに言うと、「オートマトン理論で変換可能な」という意味で使っているのですよ。つまり、私のとって「正則カナ表記」とは、有限な資源を持つコンピュータプログラムが、有限時間内に、ローマ字表記からカナ表記に自動的に変換可能な、あるいは逆に、カナ表記からローマ字表記に自動的に変換可能なものを言います。コンピュータが変換可能なら、人間にだって「これはより一般的な表記だろうか」と悩まなくてよい、ということなんですよ。--Midville 2006年5月23日 (火) 17:14 (UTC)
- ですから、別の場所でも書きましたが、特定の領域でのタームとしての意味のつもりで書かれても、それで読み取られる保障などないし、書き手の意味が正しい読みであるなどとはいえないでしょう。言葉には学術的ではない普通の意味というのがあって、タームとしての意味ではない意味で普通の人が読んでもそれはまったく正当なんですよ。相対論だとか量子だとかタームとしての意味しかない語なら別ですし、タームとしての意味であることが明白である文脈がはっきりと存在していれば別ですが、そうとはいえないでしょう。
- そして、正則という語には、標準的な、フォーマルな、ノーマルな、レギュラーな、という意味があり、無前提にそう書くのが、それがこの辞書において「標準」なのではなく、一般にそうであるという誤解を招くというのは、基本的に妥当なはずです。正則にオーソライズされたという意味がないというのは無理です。
- それに対して、タームとしての意味ではそうではない、あるいはそういう「積もり」ではない、とおっしゃっても、まったく反論にはなってないですよ。実際、フスハーが正則だという場合には、そういう一般的な意味を念頭におっしゃっているでしょう。
- たとえば、わたしが沙流方言をこの辞書では標準的なものとして扱うことにしようと提案し、かりにそのような合意が成り立った場合に、この辞書内では、沙流方言を正則アイヌ語と呼んだとします。それもまったく正当でなければならないはずです。この辞書での合意さえあれば正則と呼んでよいというのであれば。
- なお、代案としては、単に正則という語は使わない、というのが案です。呼ぶ必要があるときは、「この辞書での統一表記」とかでいいでしょう。この辞書での、という限定がつけばいいわけです。ノートでの議論ではそういう必要はないので、あくまでも本文でのことですから、別にそれほど長たらしいわけでもないでしょう。
- なお、割注というのは別にある表現ではなくいま私が比ゆ的に表現しただけですが、メールでは、相手のテキストを引用した上で、部分ごとにレスするわけですよね。しかし、この場合、あなたは、相手のテキストそのものの体裁・改行を編集し、その間にレスをいれているわけです。その点が、「相手の文章の改変である」とみなされる場合がある、ということです。メールの場合のように、相手のテキストをコピーした上で同様のことをなさった場合には、そういうことはいわれません。また、わたしがあまりインデントしないのは階層が深くなると逆に読みにくくなるからで、この件絡みのことではないです。--Gelasinos 2006年5月23日 (火) 18:02 (UTC)
- えーとあまり突っ込む気はないのですが、私はここで新たに体裁・改行を変更した記憶はありませんし、メールではその体裁・改行の変更もごく普通に行われます。Gelasinos さんが最初から段落分けしていらした、その間にしか文章を挿入していないと記憶します。Thanks--Midville 2006年5月23日 (火) 19:37 (UTC)
- えーとこの件はあくまでもwikipediaやwiktでの一般的な通念の話で、私は少し驚いた程度なのですが、説明しますと、段落の間の改行も体裁に含まれるんですよ。つまり、ひとつの編集単位、署名つきの複数の段落からなる文章のひとつの集合が、「ひとつのテキストのまとまり」ですから、その間にテキストを挿入すると、「相手のテキストの間に別のテキストを入れることで別のテキストに変えてしまった」ことになるわけです。
- ここまでこじれることは滅多にありませんが、極端な例として。--Gelasinos 2006年5月23日 (火) 19:53 (UTC)
- つまりwikiではひとのテキストに手を加えることができます。メールの場合は相手のテキストの元が保存されていますから、それを加工してもあまり問題になりませんが、wikiでは相手の元テキスト自体がかえられてしまいます。それでノートでは、基本的に、ひとのテキストには触らない、原則として前か後に追加するだけ、というのが、強調されるわけです。--Gelasinos 2006年5月23日 (火) 19:58 (UTC)
- ここまでこじれることは滅多にありませんが、極端な例として。--Gelasinos 2006年5月23日 (火) 19:53 (UTC)
- 変更すれば、悪意でも善意でも改変者の苦労の甲斐なく、履歴に残ってもとの文章も読めるし回復できるんですけど、そんなにこじれたんですか? いや、メールの世界でも、人の文章に手を入れたと言ってカンカンに怒る初心者の方はいらっしゃいますけど。なんだかなぁ。--Midville 2006年5月23日 (火) 20:06 (UTC)
- (編集が同時で何度もかち合ったようですので、再々投稿します。)もひとつだけ。大前提として、Wiktionary に投稿された文章はすべて GDFL によって発行されますから、推奨されない変更不可部分の明示がない限り、変更(改変)してはいけない部分はないはずなんです。だから私は実はすごく驚いています。文意を曲げる変更を行ったわけでもないのに、なぜ怒られるのかと。しかし Gelasinos さんの生きてこられた文化と私の生きてきた文化がすごく違う、ということはこの一件でもよく分かりました。Thanks--Midville 2006年5月23日 (火) 19:59 (UTC)
- ですから、これはwiktやwikipediaの一般的な慣習であるだけであって、私がどうこうという話ではありませんし、批判しているわけでもありません。できれば、ほかでも少しそういう傾向があるように思うのですが、私がしている留保を軽視して大雑把な方向性に対してレスしないでください。ノートでは、原則として投稿は前後への付加の範疇に入るもの(掲示板の延長)で考える、それを超える場合は合意を得たうえでやる、そしてそれが、ノートと本文での慣習の違いである、というのは、しばらく、wikipediaでの人々の振舞いを見ていれば観察できる事実です。私はそれを規範的な意味でどうこういっているんじゃなくて、もめることもありますよ、と申し上げているだけで、別にとめるつもりもないんですよ。もしもそういう誤解を招いたのであればお詫びします。--Gelasinos 2006年5月23日 (火) 20:10 (UTC)
- 5月22日の編集が私にとってMidvilleさんとGelasinosさんのどちらが書かれた内容かわかりづらかったので署名を補っておきました。
- 「より一般的に流通している表記」としては「アコロイタク」の記載方法を挙げます。アイヌ語の勉強会で言及される機会が比較的多いと考えます。
- この辞書のカナ文字での統一書式としては「アコロイタク」での記載方法を採用しておけば良いのではないでしょうか。小さいヌという見慣れない表現方法を見てどのように反応されるか私は3点心配です。
- 1)本語の「ン」と区別するため、というのは言葉を非常に真剣に考えられている現われだと思いますが、今でも小さいラリルレロがいつの間にか母音が本当に入って発音されてしまっている場合があるように、小さいヌの部分が「NU」として発音される事態を招く恐れがある。それならば「ン」の方がまし。
- 2)見慣れない表記方法を見て、利用者から拒否反応を起こされてしまう。(他のページで話があった不定人称と四人称の議論参照)
- 3)プロジェクトアイヌ語の参加者として名前を書いていることによって私に対して別の場所でクレームする人たちがいそう(苦笑。一旦消しています)。--せんべい屋の寄宿人 2006年5月26日 (金) 14:48 (UTC)
- せんべい屋の寄宿人さん、お疲れ様です。最近の私の編集を見ていただくと分かるように、私もいろいろ考えるところありまして、「アンチカㇻ(アㇴチカㇻ) / アンチカㇽ」などと書くようになっております。どちらかというと、理系寄りなところもありまして、議論をするとどうしても長くなるわりには上手く表現できないで、本当は協力したい人との間に誤解が誤解を生む性(サガ)らしく、むしろ言葉よりも行動で示すようにしているところもあります。--Midville
- 最近手を加えております「Wiktionary:アイヌ語のカナ表記」にも、「「ッ」「ン」の用法」の項を書き加えました。ぜひご高覧のうえ、ご指導ご鞭撻お願いいたします。--Midville
- ところで、どうやら最近の常識らしい「アコロイタク」ですが、アイヌ語を必死に勉強したり、アイヌ関係者と直接交流していたのがもう20年程前のため、実はまったく存じません。ウェブ上の記述なのですか、それとも何かの冊子のようなものなのですか。後者ならどこで手に入りますか。知らないと全然話にならないようなので、私も知りたいです。Thanks--Midville 2006年5月26日 (金) 20:08 (UTC)
- 一般的な表記がどこにあるのか、という点では、STVのアイヌ語講座とアイヌタイムズも重要だと思います。基本的にはアコロイタク式のようです。
- ところで、どうやら最近の常識らしい「アコロイタク」ですが、アイヌ語を必死に勉強したり、アイヌ関係者と直接交流していたのがもう20年程前のため、実はまったく存じません。ウェブ上の記述なのですか、それとも何かの冊子のようなものなのですか。後者ならどこで手に入りますか。知らないと全然話にならないようなので、私も知りたいです。Thanks--Midville 2006年5月26日 (金) 20:08 (UTC)
-http://www.stv.ne.jp/radio/ainugo/index.html ラジオ -http://www.frpac.or.jp/ins/radiotxt.html テキスト -http://www.geocities.jp/otarunay/taimuzu.html アイヌタイムズ Gelasinos 2006年5月27日 (土) 16:10 (UTC)
アイヌ語の n の発音
編集メール式に逐文回答できないと非常に「痒いところに手が届かない」感が強いので、節を別にたてて引用‐回答式で書きます。せんべい屋の寄宿人さんの発言の引用の頭に敬称略で「Ramat> 」をつけます。
以下の話と、n をちいさいヌで書くことの是非は直結しません。あくまでご認識に対する参考です。
Ramat> 今でも小さいラリルレロがいつの間にか母音が本当に入って発音されてしまっている場合があるように、
確かに小さいラリルレロを母音をつけて発音するのは変です。しかし、
Ramat> 小さいヌの部分が「NU」として発音される事態を招く恐れがある。
実はこちらはあまり問題ないと思います。私が昔何本も何度も聞いた(確か日本語を話せない)生粋のアイヌのおばあさんたちの貴重なカセットテープでは、アイヌ語の n は日本語の「ン」ではなく、フランス語の ne (nne) により近かったと記憶します。「パリっ子」を表す男性の Parisien の方は日本語で「パリジャン」、つまり鼻母音の en を「ァン」と書きますが、女性の方の Parisienne は「パリジェンヌ」で enne は「ェンヌ」です。アイヌ語の n も後者に近い発音です。
ローマ字表記にせよ、カナ表記にせよ、文字から受ける印象と実際の発音はかなり異なるものです。アイヌ語全体の耳で聞いた印象を他言語と比較すると、北海道方言は非常に母音が短くてダダダダっと続けて発音されるので、キングス・イングリッシュ(イギリス英語)のように聞こえます。今日、日本では、典型的なキングス・イングリッシュはディズニー映画に出てくる召使の女性などに聴くことができますね。ああいう感じです。
Ramat> それならば「ン」の方がまし。
上記のとおり、最近の日本語を併用されるアイヌの方の n の発音はより日本語化して「ン」に近いのかもしれませんが、私の知るアイヌの古老の発音は「ヌ」に近かったです。また、日本語話者の教師が教えるアイヌ語教室では、実際「ン」で発音されているのかもしれません。しかし一般に、私たちが中学校で日本語話者の英語教師にならった英語の発音が、実際の米語の発音などと著しく異なるのはご存知のとおりです。check it out を「チェケラゥ」とは発音していませんでしたし、Michael を「マィコゥ」とは発音しておりませんでした。カタカナに直した発音も実際とはまた異なりますね。
繰り返しますが、これらの私の経験と n を小さいヌで書くかどうか、というのはまた別の話になるのですが、ご参考までに。
私も何本かカセットテープをコピーをさせてもらって持っていたはずなのですが、たぶん結婚した際に納屋に置いてきてしまったのではないかと(残念)。すぐには聞きなおして再確認できません。--Midville 2006年5月27日 (土) 01:01 (UTC)
横からですが。『アコㇿ イタㇰ』は北海道ウタリ協会から出版された本です [1]。自分も持っていませんが。--kahusi (會話) 2006年5月27日 (土) 07:14 (UTC)
- Kahusi さん、ありがとうございました。勉強になりました。普通の市民図書館にもあるかしらん。--Midville 2006年5月27日 (土) 15:54 (UTC)
kahusiさん、フォローありがとうございます。『アコㇿ イタㇰ』は北海道各地のアイヌ語教室の代表者、大学の研究者、アイヌ語の母語話者が集まって作られた本なので、現在は事実上の標準として引用されることが多いです。 ところで「小さいヌの部分が「NU」として発音される事態を招く恐れがある。」は、本来母音が入る場所ではないのに、小さいヌと書いたことによって母音Uをつけて発音されてしまうことを懸念している文章です。念のため確認しますが、母音Uを付加して発音するように誘導してしまうことになっても問題ないという主張と理解してよろしいですか???-せんべい屋の寄宿人 2006年5月27日 (土) 08:24 (UTC)
日本語関西方言のように「ヌー」と伸ばされたらたまりませんが、一般的には日本語の「ヌ」は{phone|nu}} ではなく、ごく短く弱い [nɯ] です。一方アイヌ語本来の「ヌ」は [nu̜] ≈「[no] 日本語 ノ」です。アイヌ語の n の場合、舌先を歯根につけたままの場合もありますが、多くは最後に舌先を歯根から離して鼻腔開放に至ります。この間ずっと有声ですから、音声としては [nⁿ] ≈ [nə] =フランス語の ne になり「ヌ」に聞こえます。アイヌ語の n は、母音を意識せずに発音するのが基本です。しかし、あくまで私の見解(POV)ですが、結論としては、下手に日本語の「ン」で発音されるよりも、ごく短く弱く発音した日本語の「ヌ」(または「ナ」)の方がよりアイヌ語らしくなります。(微妙なところなのですが、はっきり日本語の「ヌ」で母音をつけて発音しろということではありません。そういう指導は誤りです。小さいヌですから、強く「ヌ」と読む人はいないでしょう。そういう状況で「ヌ [nɯ]」と母音をつけて発音してもアイヌの人には「日本語訛りなんだな」と思われるだけでコミュニケーションに支障はない、という意味です。モーラを持つ日本語「ン」で発音される方が、アイヌの人にとっては違和感バリバリです。)Thanks--Midville 2006年5月27日 (土) 15:54 (UTC):* 最後に少し加筆--Midville 2006年5月27日 (土) 16:02 (UTC)
- どの様な表記法を採るのが妥当かは自分では判断つきかねますが、アイヌ語は仮名を借用しただけであり、日本語での発音と仮名の対応に合っていなければならぬ、という訳ではないのでしょうから、「小さいヌの部分が「NU」として発音される事態を招く恐れ」は問題にしなくても良いのでは、と。--kahusi (會話) 2006年5月28日 (日) 12:23 (UTC) % このページの編集時だけ、投稿フォームより下が全部太字になるのは何故だろう@Firefox
- Kahusi さん、最後の % 以降への反応だけで恐縮ですが、Firefox の DOM Inspector で見ると、<div id="column-content"> や <div id="column-one"> の間に並列に STRONG という要素が並んでいます。本来は、<div id="column-content"> の子として <div id="content"> になっていなくてはいけない要素だと思われます。上記及び下記の > が悪さしている可能性があるので、> に書き換えました。Thanks--Midville 2006年5月28日 (日) 13:48 (UTC)
- 直りませんねぇ……。なんでしょう(謎)。--Midville 2006年5月28日 (日) 13:54 (UTC)
- わかりました。「<p>注意:</strong> 編集中のページまたは節のサイズは 32 キロバイトです。」ってなってます。これは sysop さんじゃないと直せないかと。Thanks--Midville 2006年5月28日 (日) 14:03 (UTC)
成る程。というわけでMediaWiki:Longpagewarningを修正しました。表示は直った様です。--kahusi (會話) 2006年5月28日 (日) 15:50 (UTC)
アイヌ語の r の発音
編集Ramat>> 今でも小さいラリルレロがいつの間にか母音が本当に入って発音されてしまっている場合がある
Midville> 確かに小さいラリルレロを母音をつけて発音するのは変です。
非常に気になったので、Wiktionary:アイヌ語の発音表記#子音_3 の r の項に註釈を追加しておきました。タップ(舌打ち)をするのだということが分かれば、少しはなんとかなるはずです。--Midville 2006年5月27日 (土) 04:07 (UTC)
履歴の訂正
編集2006-05-28 01:12:48の版から失われていた部分を復元しましたが、完全ではないかもしれません-せんべい屋の寄宿人 2006年5月29日 (月) 12:24 (UTC)
他言語版へのリンク方法のお知らせ
編集フランス版とフィンランド版にも多数の語彙が登録されているのを発見しました。英語版は1単語だけ登録されていました。[[Category:アイヌ語]]のページからそれぞれの言語版のアイヌ語カテゴリーページに飛ぶようにしておきました。各単語項目のページでもekasiで使用されている方法で別言語版へのリンクを比較的簡単に追加することができます。-せんべい屋の寄宿人 2006年5月30日 (火) 11:27 (UTC)
- せんべい屋の寄宿人さん、お疲れ様です。今まで、他言語版とのリンクは、「ボット」が自動的にガシガシ追加・削除するものだと思って手を付けていませんでした。日本語版の語彙を増やすのが先という現実的課題もあります。これからは、気づいたら手動で追加した方がよいですかね。(ekasi を見る限り、フランス語版は、日本語版からの移植のようですね。日本語版に発音表記がないのでフランス語版にもない。なんか責任を感じちゃう。)Thanks--Midville 2006年5月30日 (火) 15:23 (UTC)
- 現実的にはフランス語版などに「誰かが」移植したら、インターリンクを「その誰かさん」に付け加えていただく、ということでよいと思います。今回私が追加した理由は[[Category:アイヌ語]]の他言語版があることを見にきた人に知らせるためでした。-せんべい屋の寄宿人 2006年5月30日 (火) 15:51 (UTC)
- 了解。(この間に親族語を新規4・充実2寄稿いたしました。)--Midville 2006年5月30日 (火) 18:04 (UTC)
quot テンプレートについて
編集{{quot}}
はこの雛形のおかげでアイヌ語については17件使われていますが、それ以外でほぼ利用が無い状況です。Wiktionary:用例#用例を示す形式と同じく語釈の部分に書くスタイルで不都合な理由が無ければ、語義ごとに用例を示された方が辞書として情報が豊かになると思いますが、{{quot}}
を使っている事情などありますでしょうか。元の作成経緯と20年弱の利用状況を鑑みて{{quot}}
を非推奨のテンプレートにすることを提案するつもりで、確認まで。--cm3 (トーク) 2023年2月1日 (水) 00:50 (UTC)
- @KAMEDA, Akihiro様、近年(直近三年)アクティヴにアイヌ語関係の項目を編集しているユーザーは私以外、利用者:BrassSnail様及び元々全言語活躍されている方々しかないと認識しておりますので、愚見を申し上げたいと存じます。まず、私は特に
{{quot}}
を使う意味がないと考えております。また、この度私が編集しているものには{{quot}}
が使われているものを削除しております。更に、テンプレート:標準の内容/アイヌ語自体もWiktionary:スタイルマニュアル/アイヌ語(ここには既に{{quot}}
が使われる記述がなくなっていおります)に合わせて更新していく予定でございます。よって、{{quot}}
を非推奨のテンプレートにすることに賛成しております。ご参考まで。 --Mkpoli (トーク) 2023年8月12日 (土) 11:35 (UTC)- 削除 私自身十数年編集してきても一回も使ったことのないテンプレートですし、使い方を見ていても例えば例文を示すのならをとめでの用例のように「#*」等で語義の下に記述すれば事足りると思います。 --M-30722 (トーク) 2023年8月12日 (土) 12:28 (UTC)
- 済 特別:リンク元/テンプレート:quotにある、すべての関係する利用の置換が完了しました。 --Mkpoli (トーク) 2023年8月13日 (日) 06:12 (UTC)
アクセントの項について
編集此のページ(アクセント表記のなされている多くの記事ページも同様)ではアクセントを「◯↗◯↘◯◯…」のように表記することになっていますが、国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブの「アイヌ語沙流方言略説」には「語によって上昇するところがきまっており、それより前はすべて低く、それよりあとは抑揚(イントネーション)によって上がったりしなければ、だんだん低くなることが多い。」とあるので、少なくとも沙流方言に於いては、下がり目の位置を示す矢印を書くのは不適切だと考えます。沙流方言以外には其々の語に定まった明確な下がり目をもって発音する方言があるのかもしれませんが、其の様な方言の多くでも辨別する(意味の違いをもたらすものとして認識する)高低の変化は上がり目だけだと思うので、その辨別的な部分である上がり目のみを表記すればよいでしょう。
アクセントによる辨別をそれ以外の方式でする方言があるのならば、若しくは言葉に明確な下げ部分を持つ方言の表記を正確に行うのであれば、その方言の場合にどう表記するのか書くことが必要です。
加えて、現行の矢印を使った表記は少し読みにくいので、圏点を使った表記(◯◯◯◯)や日本語のアクセント表記法に似せた形(◯◯◯◯、『世界言語学大辞典』に用例あり)に変えると読み易くなると思います。--BrassSnail (トーク) 2023年8月13日 (日) 14:38 (UTC)