太公望
日本語編集
固有名詞編集
由来編集
史記『斉太公世家』において由来を紹介。
【白文】
- 呂尚蓋嘗窮困、年老矣、以漁釣奸周西伯。西伯將出獵、卜之、曰「所獲非龍非彨非虎非羆、所獲霸王之輔。」於是周西伯獵、果遇太公於渭之陽、與語大說、曰「自吾先君太公曰『當有聖人適周、周以興。』子真是邪?吾太公望子久矣。」故號之曰「太公望」載與俱歸、立為師。
【和訳】
- 呂尚は、貧しいまま年老いていったが、釣をしながら周の西伯(後の文王)に近づく機会をうかがっていた。(ある日)西伯が狩に出ようと占うと「今日の獲物は、龍でも、彨(みずち)でも、虎でも、羆(ひぐま)でもなく、王の覇業の輔弼であろう」とでた。西伯が猟をしていると、渭河の北岸で呂尚に出会い大いに語った。「祖父である先代の太公が『聖人が周に仕え、周に興隆をもたらす』といっていたが、あなたでしたか?私は、太公が望んだ方を長い間待っていたのです」といい、それ故「太公望」と号させた。ともに戻って、軍師とした。