トーク:猫に小判
最新のコメント:10 年前 | トピック:出典の確認をお願いします | 投稿者:ShikiH
用例について。日本語版Wiktionaryにも、Citationsページが欲しいです。http://en.wiktionary.org/wiki/Wiktionary:Citations --182.168.50.171 2014年9月28日 (日) 14:30 (UTC)
- なるほど、英語版のように、名前空間をわけて肥大化に対応するということもできますね。これは全体に関わる話題ですので、Wiktionary:編集室で提案するとよいかと思います。e-Goat (baa) 2014年9月28日 (日) 14:42 (UTC)
出典の確認をお願いします
編集用例中、『獣太平記』についてですが、確認したところ室町時代1430-50年に成立した御伽草子の1つで、『十二類合戦絵巻』の別名とあります(最初から絵巻として作られたのか、原作の物語があって絵巻化されたかは不明、『太平記』自体は15世紀には用語として定着)。さて、ここで問題なのは、「小判」(という言葉)が、16世紀末期から17世紀初期の家康の貨幣政策から生まれたもので、この物語の成立期には、存在しなかったのではないかとの疑念です。今のところ、「小判」という「高価な貨幣」が室町時代中期に存在したという情報には触れることはできていませんので、おそらく、江戸期に成立した出版本での翻案的な改変の結果とは思いますが、その旨の記載がないと、1430-50年頃には高価なものを意味する「小判」という言葉があったと誤解されかねません(実はあったのかもしれませんが)。この事情(出版本の出版期等)につき、ご確認いただけませんか。--Mtodo (トーク) 2014年10月1日 (水) 01:29 (UTC)
- ShikiHでございます。「汝大切の金子を何とて、箇様になしたるぞとて、是を切らしむ、鹿左衛門後悔し是我誤なり、俗にいふ猫に小判、馬の耳に風と、世のたとえもありけるにと」のところは国文学研究資料館のサイトの中のこの写真版で確認できます。これの書誌データによれば、著者は木容堂、安永7年の春に出版されたとあります。これは西暦1778年ごろ。これを『獣太平記』の刊年とするのがよかろうと思います。記事本文もそのようにします。
- なお、『十二類合戦絵巻』については慶応大学の所蔵の写真版[1]がありますが、内容はずいぶん異なるもので、該当箇所も見当たりません。これと、今ここで言っている獣太平記の関係については私の力ではよくわかりませんので、上記のことと合わせて、学兄がたのご教授をお願いいたします。--ShikiH (トーク) 2014年10月1日 (水) 04:57 (UTC)
- ご確認ありがとうございます。なお、『十二類合戦絵巻』と『獣太平記』については、別称関係というのが、Web上で散見されるところです(例.ウィキ・コモンズ)。さらに確認しましたところ、このような論文に当たっております。これによると、別称というより、後世成立した翻案異本というものらしいです。--Mtodo (トーク) 2014年10月2日 (木) 08:50 (UTC)
- ShikiHでございます。Mtodoさん、ありがとうございます。お示しの論文を拝読いたしました。「猫に小判」が載っている木容堂のものは、たまたまタイトルが同一の、あるいはとても似ているタイトルの、別の本だと理解いたしました。木容堂のものは知名度が低く、ウェブ上でもなかなかみつからないようです。しかしながら知名度だけが理由ではないように思います。こちらの本はもともとは平仮名で『けだもの太平記』だったのかもしれません。上記写真版の自序のタイトルは2行に分け「けだ/もの/太平記」であることが確認できます。また続帝国文庫にも収録されていますが、そのタイトルが『けだもの太平記』であることが確認できます。ウェブ上でも見つかります。であればウィクショナリの記事も、”けだもの太平記”とするのはいかがでしょうか。ただし、安永7年の刊本を見ない限り、正確なタイトルは確定できませんから、うかつには直せません。182.168.50.171 さんのご意見も賜りたく存じます。--ShikiH (トーク) 2014年10月2日 (木) 12:48 (UTC) しかしそこまで厳密にやらなくてもよいかもしれません。特にこれ以上ご意見がなければ現状のままにいたしておきます。--ShikiH (トーク) 2014年10月2日 (木) 12:57 (UTC)