同 士(どうし)
- 互いに同じ種類である人やもの。
- まだ双方の親元は正式に承知をしたわけではないが、本人同士は、かたく将来を約して別れたのである。(岸田國士「火の扉」)〔1944年〕[1]
- そのような強敵を前にひかえて、同じ地球に住んでいる人間同士が戦いをおこすなどということは、ばかな話ではないか。(海野十三「三十年後の世界」)〔1948年〕[2]
- 乗用車同士だったらすれ違えるけれども、大型のバスとかトラックが通れば片方の車は一たん停車しなければやり過ごせないというところが国道、主要地方道でかなり残っていると聞いております。(山崎力、第142回参議院国会国土・環境委員会)〔1998年〕[3]
- 控えのロープ同士は繋げられるようになっているので、いざという時には、三〇〇尋以上の一本のロープにして魚に対応できるのだった。(アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』)〔石波杏訳2015年〕[4]
- 互いに同じ関係にある人。
- 隣同士だからなんといっても顔見合わせる機会が多い。(伊藤左千夫「隣の嫁」)〔1908年〕[5]
- 教室や学生の倶楽部や、宴会によって、種々な異性同士が紹介されます。喋ったり、遊戯をしたり、一緒に舞踏をしたりして、多数の中で先ず交際が始ります。(宮本百合子「男女交際より家庭生活へ」)〔1922年〕[6]
- 前世では敵同士だったかも知れないね。(長谷川伸「一本刀土俵入」)〔1931年〕[7]
- 見知らぬ人同士、話しかけて智恵を借り合うのもありました。(豊島与志雄「沼のほとり」)〔1946年〕[8]
- 仲間。同志。
- わからなくても戦わねばならぬ、自分ひとりではない、ここに三人がいる、船底にはさらに十一人の少年がいる、同士のためにはけっして心配そうな顔を見せてはならぬのだ。(佐藤紅緑「少年連盟」)〔1931年–1932年〕[9]
- 吉之助様と同じように、薩州様のご藩士で、勤王討幕の志士のお一人で、吉之助様の同士なのでございます。(国枝史郎「犬神娘」)〔1935年〕[10]
- 語義1と2では、一般的に、名詞に続けて接尾辞的に使われる。また助詞(が、を、で、など)を省き、全体で副詞節のように用いられることもある(「おたがい」「みんな」などと類似の用法)。