巨人の肩に立つ
日本語
編集成句
編集- 先人の偉業にもとづいて仕事をすること。またそうすることにより、先人よりも能力が劣る人でも立派な業績をあげられるということ。
- 川田博士に対しては真に申悪き言状なれども巨人の肩に立たば侏儒も長を巨人と争ふべし。(山路愛山「日本現代の史学及び史家」(4)、『太陽』第15巻第12号、明治42年9月1日、『山路愛山集 (2)』 377ページ収録)
- 實に日本人は巨人の肩に立つ一寸法師のやうな立場でもなく又た他人の築いた基礎の下に臺灣の隆盛を築き上げたのでもない。唯頼みとしたのは臺灣の豊裕なる自然財源だけで、之れも支那の領有當時屡々開發せんとしたことがあつたけれど數世紀間は殆んど未開發の狀態であった。(『臺灣時報』1925年6月号48ページ「ラッター氏の『臺灣を素通りして』 其の一節 成功せる日本の臺灣統治」越村生・訳)〔1925年〕
語源
編集偉大な先人を巨人にたとえ学問の成果がつみかさねられていく様子を示したヨーロッパの成句から。ソールズベリのジョン(John of Salisbury)が1159年の著書『メタロギコン』で、シャルトルのベルナールの言葉として引用したラテン語での用例が文献上の初出・起源とされる。
- Dicebat Bernardus Carnotensis nos esse quasi nanos gigantum umeris insidentes, ut possimus plura eis et remotiora uidere, non utique proprii uisus acumine, aut eminentia corporis, sed quia in altum subuehimur et extollimur magnitudine gigantea. (John of Salisbury, J. B. Hall (ed.), 1991, Ioannis Saresberiensis Metalogicon, III, 4, 45 (p. 116), (Corpus Christianorum Continuatio Mediaeualis CCSM 98), ISBN 2-503-03982-0)
- 私たちは巨人の肩の上に乗る小人のようなものだとシャルトルのベルナールは言った。私たちが彼らよりもよく、また遠くまでを見ることができるのは、私たち自身の視力が優れているからでもなく、ほかの優れた身体的特徴によるのでもなく、ただ彼らの巨大さによって私たちが高く引き上げられているからなのだと。