- (東京式) しきいがたかい [shìkíígátákáꜜì] (中高型 – [6])
- IPA(?): [ɕikʲiːɡa̠ta̠ka̠i]
- (京阪式) しきいがたかい
敷居が高い(異表記:閾が高い)
- (家や集団などに)心情的に入りづらい。訪れるのがためらわれる。
- 左官の長兵衞は、吉原土手から大門を這入りまして、京町一丁目の角海老楼の前まで来たが、馴染の家でも少し極りが悪く、敷居が高いから怯えながら這入って参り、窮屈そうに固まって隅の方へ坐ってお辞義をして、/長「お内儀さん、誠に大御無沙汰をして極りがわるくって、何んだか何うもね……(略)(三遊亭圓朝『文七元結』)〔1925年〕
- この家は門の戸を開けると一歩も踏み込まないのに、すぐまた玄関の戸を開けねばならぬという風な、奇妙な面倒さを私は感じ敷居も年毎に高くなったが、出て来るみと子夫人の笑顔だけは最初のときと少しも変らなかった。 (横光利一『睡蓮』)〔1898年 - 1947年〕
- 平生は行ったこともない敷居の高い家の玄関をでもかまわず正面からおとずれて、それとなく家居のさまを見るという一種の好奇心のようなものがこれらの小さいこじきたちの興味の中心であったように見える。 (寺田寅彦『自由画稿 こじきの体験』)〔1935年〕
- Yはその後も度々故郷へ行ったり上京したりしたが、傷持つ足の自ずと閾が高くなって、いつも手紙をよこすだけでそれぎり私の家へは寄り附かなくなった。 (内田魯庵『三十年前の島田沼南』)〔1923年〕
- 「敷居が高い」は「不義理などがあるために、負い目を感じ、その人の家を訪れるのに気が進まない」という意味で使うのが本来の用法とされる。「(まだ訪れたことのない家や集団が高級そうに見えたり、程度が高そうに見えるために)自分はそこに入るのにふさわしくないと感じる」などの含意をもたせるのは誤用とされる[1][2]。
- 一方で、遅くとも1945年以降には「近寄りにくい」の意味で、1980年代には「気軽に体験できない」の意味での用例があり、「敷居が高い」を不義理などを理由とする場合に限って用いるのが正しいとすることに、特に正当性はないという指摘がある[3]。2014年出版の三省堂国語辞典第七版では、「敷居が高い」を高級店などに気軽には入れないといった意味で使うことについて、誤用とする注記を削除した[4]。