Wiktionary:編集室/2007年/Wiktionaryにおける例文について

Wiktionaryにおける例文について

編集
Wiktionary:用例(2013年以降に書かれた手引き)もご覧ください。

wiktionaryは辞書であり、言葉の用法を紹介することは最も重要な役割であり、そのために例文を付すことは大事なのですが、どうも、その語の入った文を何でも書いておけばよいと誤解されているようなので、ここで整理しておきたいと思います。

まず、整理しやすいところで日本語以外の言語から。

日本語版wiktionaryにおいて、日本語以外の言語は、それを母国語とせず日本語をベースにして学ぶ人向けに記載されているものと考えますので、とりあえずその言葉が使われている文章があればよいと考えます。しかしながら、この場合、たとえば辞書をそのまま引き写すなど、著作権侵害の疑いや謗りを免れるために、以下の点に注意して例文を付すべきと考えます。また、日本語のときに繰り返しますが、できる限り範とするに足る用法を記載すべきです。

  1. 著作権には最大限の留意し、引用元を各種方法(他wiki文書の場合、GFDLの手続きによる)で明示すること。
    1. 最も推奨されるのは、著作権の切れた古典から引用することです。ただこの方法だと用法が古くなると言う憾みがあります。また、法令文書や条約等、著作権の無い文書から引用することも、その用法の正確性もあわせ望ましいものと考えます。
    2. 次に、その言語版wiktionaryから、GFDLの手続きに従い引用することが良いかと思います(引用等当該文書の著作権上の扱いは、引用元の版で一次的に取り扱うこととなると考えます)。また、wikt以外の文書(wp,wb 等)からでも、正規の手続きによる限りは問題ないと思いますが、引用元の明示等多少複雑になるかなと思います。
    3. その他の文書は、印刷物でもweb上の記載であり、いかに短い表現であっても、慎重に取り扱うべきものであることは言うまでもありません。
  2. 自分で作文する場合は、ある程度その言語に精通しているレベルの人のみが行うべきであること。例えば、英検であれば、最低限2級程度(一般的な大学入試のレベルを超える程度)の実力は必要でしょう。これは、言語は慣習の累積であり、単語を逐語的に訳してそれを並べて意味が通るだろうと思っても、「そういう言い方はしない」の一言でけられるものだからです。また、いくら精通していても、古典ギリシア語やラテン語、サンスクリットと言ったものは(一部で通用している可能性は有るものの)、新たに作文すべきものではないと考えます。

次に、日本語について。基本的な考え方は日本語以外の言語と変わるところはありませんが、日本語版wiktの日本語記事は、大部分日本語を母語とする人が記述するため、別の意味で慎重を要します。

  1. 著作権に関する態度及び引用元を明示して記載することは同一です。
    1. 日本語の範とすべき文章と言う意味では古典となった文章から引用することが望ましいです。この場合、確かに、言い回しが古臭くなる惧れはありますが、「青空文庫」等を見ると、いまだ語法の例としては適当なものが多いように思えます。現代語の用法は漱石に負っているものが大きいので、漱石の作品から持ってくれば多くは解決できます。『新明解』等も同様の態度です。著作権法上の「引用」により解決もできるでしょうが、解釈を介さなければならないということを考慮すると、著作権フリーの文書の方が何かと便利が良いでしょう。
    2. その他、法令文章や公文書も推奨されます。
    3. 他のwiki文書からは、内外問わずGFDLに適合するよう引用すれば問題は無いでしょうが、言語のレベルとして、後述する作文と五十歩百歩となると考えます。
    4. その他の文書からの引用については、たとえ短文であっても著作権に配慮することは勿論です。
  2. 問題は、母国語であるがゆえに作文する場合です。
    1. 作文が認められる場合
      ここで、なぜ例文が必要かを考えましょう。端的に言えば、その用法に習熟していない人のために有るわけです。そういうことであれば、言語の巧みである(と認められた)わけでもない一般のライターが、勝手に作文するのは極力控えるのがマナーと言うものではないでしょうか。ということで、ライターが作文するのは、上記の引用文として適当なものが無かった場合に限るべきだと考えます。従って、①ライターは、まず、上記に適合する引用文を探すべきであり、②それが無かったときのみに、適切な文章を付し、③記載後に適当な文章が見つかった場合は、引用文に置き換えるべきです。
    2. どのような文章であるべきか
      言語の用法の例示なわけですから、例示される文章は、①用法として正しいものであること(助詞の係り結びや重語の回避、人を主語として受けられるかなど)は勿論、②その言葉が使用される状況がわかること、と言う条件が満たされていることが必要をと考えます。すなわち、国語のテストで「○○を用いて、短文を書きなさい」と言う問題できちんと得点できる文書である必要が有るわけです。例えば、「言語道断」と言う言葉の例文は、「それは言語道断だ」では例文の用をなさず、せめて「女性を差別するなんて、言語道断だ」くらいの使用される状況がわかるものが必要と考えます。


また、動物名など具象名詞に例文を付したものが見られましたが、これは例文の意義から考えれば不要と考えます。「ねこ」と言う言葉の説明に「猫が逃げる」と言う文章をつけても、「ねこ」と言う言葉の理解にはそれほど役に立たないでしょう。これは一般の国語辞典の編集の態度と同一です。例文が必要なのは、ある程度の抽象的概念が含まれた語のみとすべきでしょう。

以上、いろいろ書きましたが、ご意見賜りたくお願いいたします。--Mtodo 2007年5月12日 (土) 10:26 (UTC)[返信]

辞書の例文というものがどういう場面で必要になるかということを考えますと、一部の場合を除き、おのずとMtodoさんの提案する古典等に用例を求める方向にいくように思います。例文の機能は

  1. ある単語が辞書編纂者の捏造でないことを典拠によって示す。
  2. ある単語の語義・用例の歴史的変遷を示す。OEDやグリムのように初出年代を付した用例などはこの機能を強くもっています。
  3. 辞書の語義解説を補完する。

などにあると思いますが、規範的な用法として確立した語義を紹介するためには、おのずとその語の典型的な用法として広く受け入れられているものから選ぶのがよいように思います。 古典からでない場合、たとえば流行語のようなものでも、投稿者の作文ではなく、理想を言えば雑誌や放送などから作成したコーパスによるのがよいように思います。コーパス自体を作るのはそれ自体が大きなプロジェクトになりますので、実際にやるかどうかは別ですが。 具象名詞の例文は、コロケーション(この名詞とこの形容詞/動詞)は常に結びつくなど、語の固有のつながり)を示す場合は有用ですが、それは例文という形をとらなくても行えるように考えます。その語の初出年代を示す以外の目的では、あまり例文の必要な場面ではないというご指摘に同感です。--Aphaia 2007年5月12日 (土) 17:06 (UTC)[返信]

高い知見からの、ご意見ありがとうございます。コロケーション(恥ずかしながら、この言葉をはじめて知りました)という、辞書にとって非常に大事な要素を失念していました。大学教養課程の国文学の授業で「最近、『落語をかたる』という表現を見かけるが、落語は『はなす』もので『かたる』のは浄瑠璃だ(もう二つほどあったけど、残念ながら忘れてしまいました)」というのが印象的で、「はなす」の項にもちょっと書いたところです。確かにこのような説明は充実させたいですね。--Mtodo 2007年5月12日 (土) 17:36 (UTC)[返信]

ありかな、と思ったけど、ちょっと判断しきれなかったアイデアを書いておきます。自分で例文は書けず、その適切さを判断することはできないばあいでも、過渡的な措置として、ある程度信頼の置けそうなソースでの使い方を、読者に提示することは可能です。具体的には、サイトを限定したGoogle検索のリンクを使います。[[google:{{PAGENAME}}+site:www.aozora.gr.jp|青空文庫内での用例]]、[[google:{{PAGENAME}}+site:zh.wikisource.org|中国語版ウィキソース内での用例]]のように(例 適切について、青空文庫内での用例嘉獎について、中国語版ウィキソース内での用例)。最終的には適切な例文と、日本語以外ならば加えて適切な日本語訳が必要ですが、これでもその単語を調べている人にとっては better than nothing かなと思いました。いかがでしょうか。e-Goat 2011年7月27日 (水) 10:47 (UTC)[返信]