堂堂(どうどう)
- 完成度が高かったり規模が大きかったりして立派なさま。
- 弟治宇二郎が書いた本というのは、表題の『日本石器時代提要』であって、菊判三百ページくらいの堂々たる体裁であった。(中谷宇吉郎「『日本石器時代提要』のこと」)〔1955年〕[1]
- しかしその後二年もたつとシンガポールの場末という感じはなくなった。おいおい高層建築が立ち並ぶに従って、部分的には堂々とした通りもできあがって来た。(和辻哲郎「城」)〔1935年〕[2]
- 恥ずかしいがったりためらったりすることが無いさま。
- 近ごろの見合いでは、たいてい婿殿のほうがかえって少しきまりが悪そうで、嫁様のほうが堂々としている。(寺田寅彦「蒸発皿」)〔1933年〕[3]
- 先頃求刑のあった最終日に同志佐野学は立って堂々と階級的闘士の無罪であることを述べました。(宮本百合子「同志たちは無罪なのです」)〔1932年〕[4]
活用と結合例
各活用形の基礎的な結合例
意味 | 語形 | 結合 |
自動詞化 | 堂堂とする | 連用形 + する |
名詞化 | 堂堂たること | 連体形 + こと |
堂堂(どうどう)
- 完成度が高かったり規模が大きかったりして立派なさま。
- かねて僕は戯作を愛し、落語であれ漫才であれ、インチキ・レビュウの脚本でであれ、頼まれれば、白昼も芸術として堂々通用のできるものを書いてみせると大言壮語していたことがあるものだから、紙面をさいてくれる気持になったのである。(坂口安吾「茶番に寄せて」)〔1939年〕[5]
- それからまた非常に厳然とした形の上に正しい謹厳な書もあります。それも能書の中に這入っている。それからまた堂々三軍を叱咤するような勢いのよい字もある。(北大路魯山人「よい書とうまい書」)〔1934年〕[6]
- 恥ずかしいがったりためらったりすることが無いさま。
- われ/\はしば/\あるように当局官吏の欺瞞政策に欺かれることなく、堂々かつ執拗に要求せねばならぬ。(槇村浩「我々は牢獄で何をなすべきか」)[7]
堂堂 (どうどう)
- (「堂堂の」の形で名詞を修飾して)立派なさま。ためらったりしないさま。
- 檀君の仕事は今日すでに堂々のものである。(太宰治「檀君の近業について」)〔1937年〕[8]
- これらは外相の言う堂々の言論をもって、条理を尽して相互の善意による解決がなされたければならない。(笹森順造、第26回国会参議院本会議)〔1957年〕[9]
- 複数の仏堂。