有知無知三十里
日本語
編集成句
編集有知無知三十里(ゆうちむちさんじゅうり)
由来
編集古代中国、魏の曹操が楊修[1]を連れて曹娥[2]の石碑のそばを通ると、その石碑には「黄絹幼婦外孫齏臼」[3]の文字があった。曹操はその文字の意味が分からないので、楊修にたずねたところ、彼にはその意味が分かった。曹操は答えを伏せさせて、道を行きながら考えたところ、「黄絹」は色のついている糸で「絶」、「幼婦」は少女で「妙」、「外孫」は女(娘)の子で「好」、「齏臼」は辛を受ける臼で「辤」[4]といった具合に謎ときをして、碑文の意味が「絶妙好辞」であると導き出したが、その時にはすでに三十里も進んだ後だった。このことから曹操は、自分の才能は楊修には遠く及ばず、その差は三十里もある、と悟った故事から。出典は『世説新語』「捷悟」。