日本語

編集

名詞

編集

(たつい)

  1. 著者話者考え不足なく充分表現されていること。
    • 1925年、徳田秋声「日本文章史」[1]
      すくなくとも後になつて長谷川二葉亭や山田美妙齋が主張したものは、藝術品としての文章であつて、福翁の樣に達意が目的でない、刻々の感味を正直に濃かく表現するのである。
    • 1938年、戸坂潤「読書法」[2]
      美文などならば元来が殆んど意味のないものだから、それが上手でも下手でも構わないと思うが、少なくとも悪文でなしに、達意の文章を書けるということは、人間の資格に関わる大切な能力である。

形容動詞

編集

(たつい)

  1. 著者や話者の考えが不足なく充分に表現されているさま。
    • 1925年、千葉亀雄「新聞講座」[3]
      そして今日の文章も、その時文を通り越さずには、とてもこんな達意な自由なものにはならなかつたのだ。
    • 1936年、戸坂潤「思想としての文学」[4]
      達意な文学的表現能力と確固たる叙述内容とを結びつける技能に於ては、多分自然科学者は最も劣ったインテリゲンチャだろう。

活用

編集

脚注

編集
  1. 徳田秋声 講述 ほか『日本文章史』,松陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1017205 (参照 2024-12-08)
  2. 青空文庫、2007年1月5日作成(底本:「戸坂潤全集 第五巻」勁草書房、1968(昭和43)年12月10日第3刷発行)https://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/1712_25724.html
  3. 千葉亀雄 著『新聞講座』,金星堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/977700 (参照 2024-12-08)
  4. 青空文庫、2012年9月18日作成(底本:「戸坂潤全集 第四巻」勁草書房、1975(昭和50)年9月20日第7刷発行)https://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/3600_48333.html