鰯の頭も信心から
日本語
編集この単語の漢字 | |||
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鰯 | 頭 | 信 | 心 |
いわし 人名用 |
あたま 第二学年 |
しん 第四学年 |
しん > じん 第二学年 |
訓読み | 音読み |
成句
編集鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから、又は、いわしのかしらもしんじんから)
- 一旦信じてしまえば、どんなものでもありがたく思えるということ。江戸期、節分に鬼除けのため、玄関先に鰯の頭を吊るす習慣があり、それに由来するという説が有力。
- 東京化學會で私が(「オリザニン」は脚氣に效くだらう」)と述べたことを、當時醫界の大立者だつた某博士(森鴎外博士)が傳へ聞かれて「鈴木が脚氣に糠(ビタミン)が效くと云つたさうだが、馬鹿げた話だ、鰯の頭も信心からだ、糠(ビタミン)で脚氣が癒るなら、小便を飮んでも癒る……」と、或る新聞記者に話されたことがあつた。(鈴木梅太郎 『ヴィタミン研究の回顧』)
- 父親の医者というのは、頬骨のとがった髯の生えた、見得坊で傲慢、その癖でもじゃ、もちろん田舎には刈入の時よく稲の穂が目に入ると、それから煩う、脂目、赤目、流行目が多いから、先生眼病の方は少し遣ったが、内科と来てはからッぺた。外科なんと来た日にゃあ、鬢附へ水を垂らしてひやりと疵につけるくらいなところ。鰯の天窓も信心から、それでも命数の尽きぬ輩は本復するから、外に竹庵養仙木斎の居ない土地、相応に繁盛した。(泉鏡花『高野聖』)
参照
編集- 江戸いろはがるた:芋の煮えたもご存じない
- 尾張いろはがるた:炒り豆に花が咲く
- 江戸、上方、尾張いろはがるたでは、「ゐ」に当てられるが、仮名遣いは古来より各々「いも」「いわし」「いる」である。
- 幸田露伴『東西伊呂波短歌評釈』
- 東のは迂闊漢を刺りて骨に入り、西のは一切世界唯心所造の理を片言に道破せり。共におもしろし。