日本語 編集

名詞 編集

   退(いっしんいったい)

  1. 進んだり戻ったりすること。
  2. 情勢良くなったり悪くなったりすること。

出典 編集

荀子修身篇第2

【白文】
夫驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣。將以窮無窮、逐無極與、其折骨絶筋、終身不可以相及也。將有所止之、則千里雖遠、亦或遲或速、或先或後、胡爲乎其不可以相及也。不識步道者、將以窮無窮、逐無極與、意亦有所止之與。夫堅白同異、有厚無厚之察、非不察也。然而君子不辯、止之也。倚魁之行、非不難也。然而君子不辯、止之也。故學曰遲。彼止而待我、我行而就之、則亦或遲或速、或先或後、胡爲乎其不可以同至也。故蹞歩而不休、跛鼈千里、累土而不輟、丘山崇成。厭其源、開其瀆、江河可竭、一進一退、一左一右、六驥不致。彼人之才性相縣也、豈若跛鼈之與六驥足哉。然而跛鼈致之、六驥不致。是無他故焉、或爲之、或不爲爾。
【訓読文】
一日にして千里なるも、駑馬どば十駕じふがせば、則ち及ぶまさ以て無窮を窮め、無極をはむとするか、其れ折り絶つも、終身以て及ぶ可からざるなり。将に之に止まる所有らむとせば、則ち千里遠しと雖も、亦た或は遅く或は速く、或は先に或は後に、胡為れぞ其れ以て相及ぶ可からざらむや。識らず道を歩む者、将に以て無窮を窮め、無極を逐はむとするか、意々亦た之に止まる所有らむか。夫の堅白同異、有厚無厚の察は、察ならざるに非ざるなり。然り而うして君子弁ぜざるは、之に止まればなり。倚魁の行ひは、難からざるに非ざるなり。然り而うして君子行はざるは、之に止まればなり。故に学には遅つを曰ふ。彼止まりて我を待ち、我行きて之に就かば、則ち亦た或は遅く或は速く、或は先に或は後に、胡為れぞ其れ以て同じく至る可からざらむや。故に蹞歩して休まずんば、跛鼈も千里、累土して輟まずんば、丘山も崇成す。其の源を厭ぎ、其の瀆を開かば、江河もつくす可く、一進一退、一左一右せば、六驥も致さず。彼の人の才性の相県するや、豈に跛鼈はべつ六驥りくきとの若くならむや。然り而うして跛鼈は之を致し、六驥は致さず。是れ他の故無し、或は之を為し、或は為さざるのみ。
【現代語訳】
あの駿馬は一日に千里を走るとされるが、足の遅い馬でも十日かければ、これと同じ道のりを行くことができる。(一方、)もしも(自己の能力の限界を知らずに)無窮を窮め、無極を追い求めようとすれば、たとえ骨を折り筋肉を絶つ(まで進む)としても、一生辿り着くことはできない。目的地を定めていれば、たとえ千里の道が遠くても、遅いか速いか、先か後かといった差はあっても、どうして辿り着けないことがあろうか。果たして道を歩く者は、無窮を窮め、無極を追い求めようとするのであろうか、それとも目的地があるのであろうか。(言うまでもなく、目的地があるのである。同様に、学問にも目標が必要なのである。)あの堅白の論や同異の論、有厚無厚の説は、明察でない訳ではない。それなのに、君子はこのようなことを論じたりしない。それは目標を持っているからである。倚魁な行為は、難しくない訳ではない。それなのに、君子はこのようなことを行ったりしない。それは目標を持っているからである。だから学問では待つということをいう。それは(自分の立てた)目標が留まって自分を待ち、自分は進んでこれに到達するという意味であって、こうすれば遅いか速いか、先か後かといった差はあっても、どうして同じく到達できないことがあろうか。だから一足ずつ歩いて止めなければ、びっこすっぽんも千里をも行けるし、土を積んでしてやめなければ、丘や山をも高く作れるのである。その水源を塞いで(下流の)水口を開けば、長江や黄河をも涸らし尽くせるし、進んだり退いたり、また左に行ったり右に行ったりといったことをしていたのでは、駿馬といえども到達できない。そもそも人の才能や性質の相違は、どうして跛の鼈と駿馬の足ほど大きいものであろうか。それなのに跛の鼈は到達でき、駿馬は到達できない。このようなことが起こる理由は他でもない。努力するかしないか、それだけのことなのである。

翻訳 編集

動詞 編集

活用

サ行変格活用
一進一退-する