洛陽の紙価貴し
- 著書の売れ行きが良いさま[1]。晋の左思の著した「三都賦」が好評を博し、これを書き写す者が多く現れたため、首都の洛陽では当時貴重であった紙の価格が高騰したという故事から。「洛陽の紙価を高める」「洛陽の紙価を高からしむ」などともいう。
- 今まで法律家の金科玉条と仰がれたブラックストーンの学説を縦横無尽に駁撃し、万世不易の真理とまで信ぜられていた自然法主義および天賦人権説に対って反対の第一矢を放ったる耳新しき実利主義と、この卓抜なる思想にふさわしい流麗雄渾なる行文とは、忽にして世人の視線を聚め、未だ読まざるものはもって恥となし、一度読みたるものは嘖々その美を嘆賞し、洛陽の紙価これがために貴しという盛況を呈した。(穂積陳重 『法窓夜話』)
- この序文の通褒でないことはあなた方もこの鑑賞をすすめていくとともに、容易に肯いて貰えるだろうが、それにしても春のやおぼろが『書生気質』一篇に洛陽の紙価を高らしめたは翌明治十八年であるが、年譜に拠ると『春風情話(ランマムープの新婦)』『該撒奇談』『リエンジー』『春窓綺話(レデー・オブ・ザ・レーキ)』『自由太刀余波鋭鋒』などすでに上梓しているし、文学士の称号もまたその二年前、授けられている。(正岡容 『我が圓朝研究』)
『晋書』巻92・列伝第62・文苑伝
- 【白文】
- 司空張華見而嘆曰、「班・張之流也。使讀之者盡而有餘、久而更新」。於是豪貴之家、競相傳冩、洛陽爲之紙貴。
- 【訓読文】
- 司空の張華、見て嘆じて曰く、「班・張の流なり。之を読む者をして尽くして余り有り、久しくして更に新たならしむ」と。是に於て豪貴の家、競ひて相伝写し、洛陽之が為に紙貴し。
- 【現代語訳】
- 司空(宰相)の張華は、(「三都賦」を)見ると感嘆して言った、「これは班固や張衡の著作にも並ぶ名文だ。読者に言外の余情を与え、後日読み返すたびに新たな思いを抱かせる」。こういう訳で、(評判を聞いた)富や地位を持つ人々が争ってこれを筆写した。洛陽では、このために紙の価格が吊り上がった。