正岡子規
日本語
編集- 明治時代の日本の俳人・歌人、国語学研究家。1867年(慶応3年) - 1902年(明治35年)。諱(個人の本名)は常規(つねのり)。幼名(wp)は、始め、処之助(ところのすけ)、のちに改名して、升(のぼる)。明治時代を代表する文学者の一人であり、俳句の大成者。代表文献として『歌よみに与ふる書』がある。
由来
編集「子規」とは、啼いて血を吐くというホトトギスのことである。自身が結核によって喀血したことと、諱である「常規」が「規」の字を含むことから、これを俳号とした。随筆『筆まかせ』第2編 明治23年の部「雅号」に「去歳春喀血せしより子規と号する故」とある。
- 幼名1 - 処之助(当時の表記:處之助)(ところのすけ) :正岡処之助(正岡處之助)。
- 幼名2 - 升(のぼる) :正岡升。就学年齢(4~5歳)を迎えるに際し、「ところてん」とからかわれることのないようにと、外祖父・大原観山が易の地風升から「升」の字を採って改名した。雅号の一つ「野球(のぼーる)」(1890年〈明治23年〉2月、『筆まかせ』初出)は「升(のぼる)」をもじったもので、正岡子規が「野球」の名付け親だという誤解(伝説)にも関連する。
- 諱(個人の本名) - 常規(つねのり) :正岡常規。
- 渾名(愛称) - のぼさん :升(のぼる)に改名して以降のもので、友人や母親が呼ぶようになった。
- 俳号1 - 老桜(ろうおう) :10歳時より。
- 俳号2 - 中水
- 俳号3 - 香雲(こううん) :15~16歳時より。
- 俳号4 - 子規(しき) :正岡子規。1889年(明治22年)5月9日(23歳時)より。
- 主な別号 - 獺祭書屋主人(だっさいしょおく しゅじん)、竹の里人(たけ の さとびと)、地風升(ちふう しょう)、越智処之助(おち ところのすけ)
- 他の雅号 - 走兎、風廉、西子(せいし)、螺子(らし)、漱石(そうせき)、士清、子升、常規凡夫(じょうきぽんぷ)、眞棹家、丈鬼(じょうき)、冷笑居士、獺祭魚夫(だっさいぎょふ)、放浪子、秋風落日舎主人(しゅうふうらくじつしゃ しゅじん)、癡夢情史、野暮流(のぼる)、盗花(とうか)、四国仙人(しこく せんにん)、沐猴冠者(もっこう かじゃ)、被襟生、莞爾生(かんじせい)、浮世夢之助(うきよ ゆめのすけ)、蕪翠(ぶすい)、有耶無耶漫士(うやむや まんし)、迂歌連達磨(うかれだるま)、情鬼凡夫、馬骨生、野球(のぼーる)、色身情仏、都子規(つねのり)、虚無僧、饕餐居士、僚凡狂士、青孝亭丈其、裏棚舎夕顔、薄紫、蒲柳病夫(ほりゅう びょうふ)、病鶴痩士、無縁癡仏、情魔癡仏、舎蚊無二仏、癡肉団子、仙台萩之丞、無何有洲主人、八釜四九、面読斎(めんどくさい)、一橋外史、猿楽坊主、桜亭仙人(おうてい せんにん)、緩寛人、於怒戯書生、無茶苦茶散人、四国猿、弄球、能球、ほか多数
- 戒名 - 子規居士(しき こじ)