浩然の気(こうぜんのき)
- 天地に漲る、活力や生命力の源となる気。公明正大で恥じるところのない心持ち。
- 物事に囚われない大らかな気分。
『孟子』巻3 公孫丑章句上
- 【白文】
- 「敢問、夫子惡乎長」。
- 曰、「我知言。我善養吾浩然之氣」。
- 「敢問、何謂浩然之氣」。
- 曰、「難言也。其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之間。其爲氣也、配義與道。無是餒也。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心則餒矣。我故曰『告子未嘗知義』、以其外之也。必有事焉。而勿正。心勿忘。勿助長也。無若宋人然。宋人有閔其苗之不長而揠之者。芒芒然歸、謂其人曰、『今日病矣。予助苗長矣』。其子趨而往視之、苗則槁矣。天下之不助苗長者寡矣。以爲無益而舍之者、不耘苗者也。助之長者、揠苗者也。非徒無益、而又害之」。
- 【訓読文】
- 「敢て問ふ、夫子悪にか長ぜる」と。
- 曰く、「我言を知る。我善く吾が浩然の気を養ふ」と。
- 「敢て問ふ、何をか浩然の気と謂ふ」と。
- 曰く、「言ひ難きなり。其の気たるや、至大至剛、直きを以て養ひて害ふこと無くば、則ち天地の間に塞つ。其の気たるや、義と道とに配す。是れ無くば餒ふるなり。是れ義に集ひて生ずる所の者にして、義襲ひて之を取るに非ざるなり。行心に慊からざること有らば、則ち餒ふ。我故に『告子未だ嘗て義を知らず』と曰へるは、其の之を外にせるを以てなり。必ず事とする有れ。而も正めすること勿れ。心に忘るること勿れ。助けて長ぜしむること勿れ。宋人の若く然すること無かれ。宋人に其の苗の長ぜざるを閔へて之を揠く者有り。芒芒然として帰り、其の人に謂ひて曰く、『今日病る。予苗を助けて長ぜしむ』と。其の子趨りて往きて之を視れば、苗則ち槁れたり。天下の苗を助けて長ぜしめざる者寡し。以て益無しと為して之を舍つる者は、苗を耘らざる者なり。之を助けて長ぜしむる者は、苗を揠く者なり。徒に益無きのみに非ず、而も又之を害ふ」と。
- 【現代語訳】
- (孟子の弟子である公孫丑(こうそんちゅう)が言った、)「あえてお聞きしますが、先生(孟子)はどの点が(告子よりも)優れているのでしょうか」。
- (孟子が)言った、「私は(他者の)言葉をよく理解する。私は自らの浩然の気をよく養っている」。
- (公孫丑が言った、)「あえてお聞きしますが、どのようなものを浩然の気というのでしょうか」。
- (孟子が)言った、「説明するのは難しいが、その気というものは、極めて大きく極めて強いものであり、正しく養い、損なうことのないようにすれば、天と地の間に一杯に満ちる。その気というものは、義や道と分かち難く結び付いているものであり、これらがなければ、飢えてしぼんでしまう。この気は義の実践を積み重ねる過程で自然に生ずるものであって、正義がこの気を外から取り込むわけではない。人が何かをなすに当たり、(道義を欠いて)心に疚しいことがあれば、たちまち飢えてしぼんでしまう。だから私が『告子はまだ義というものを理解していない』と言ったのは、彼が義を心の外にあるものと考えているからである。(浩然の気を養うよう)努めなければならない。しかし、(ある期間までに成果を挙げようなどと)予期してはならない。(かといって、気を養うことを)忘れてもいけない。無理に成長を助けようとしてもいけない。あの宋の人のようにしてはいけない。宋の人で、苗がなかなか成長しないことを心配して、この苗を引っ張って伸ばす者がいた。くたくたになって帰宅すると、家族に言った、『今日は疲れた。苗の成長を助けてやったからな』。その子が(不審に思い、畑に)駆け付けて苗を見ると、苗は枯れてしまっていた。世の中には、苗の成長を無理に助けたりしない(賢明な)者は少ない。(浩然の気を養うことを)無益だと考えてこれを放棄する者は、いわば畑の雑草取りをしない者である。これを無理に成長させようとする者は、いわば苗を引き抜く者である。(浩然の気を無理に成長させる行為は、)単に無益であるだけでなく、却って害をなすのである」。